入院前帰省。
こないだの沖縄旅行の土産渡しと
入院時のお願いごとをしに、枚方の実家へ。
枚方の実家は、公園の前にある。
日が昇ると夏の名残か、ツクツクボウシが鳴き始めるが、
少し鳴き止むと、たちまち秋の虫の声が、空気を覆う。
あれだけ凶暴やった夏も、
こうやって秋に飲み込まれて行くんやなあ。
この時期に帰ること、ここ数年なかったので、
暮れてからの、秋の虫の声にほんま驚かされる。
それ聞きながら入る風呂は極上やな〜。
あとキッチンの流しの水圧に驚き、
シャツを水浸しにしてしまったが、
これはうちの水圧が低くて、
蛇口マックスにする癖がついてるからやな。
ワシの実家は、ちょうどワシが生まれた頃にある開発された
新興(昔のね)住宅街であるが、
家から5分くらいのところに、戦争遺跡が残っている。
ワシの小中の同窓生なら、ほとんどの人がわかる「煙突山」と
呼ばれるポツンと煙突だけの残った山。
戦時中の火薬工場の痕跡である。
今まで気がつかなかったけど、
バス停の前に、石碑が出来ていた。こんな歴史があったんやなあ。
50年前から知ってる場所なのに、
この話は全然知らなかった。
この文章を読んだ複数の友達が「母がここで勤労奉仕していた」
という話を寄せてくれました。
なんとなく遠いように思ってた戦争は、ワシのすぐ近くにいたんやなあ。
ワシは昭和37年生まれ、敗戦から17年後の生まれ、
17年と言うと、ワシが福岡に転勤してからより、短い時間。
ほんま、あっという間の時間しか、戦争と離れてなかった、
ということをひしひしと感じさせて頂きました。
(20200915記)