お盆の大阪中之島、美術館巡り③「笹本晃ラボラトリー」「開館50周年記念プレ企画 コレクション1:私/行為」国立国際美術館。

続いて、お隣の美術館、国立国際美術館へ。
ここは、京都の国立近代美術館との共通年パスをもってて、
企画展は会期中一回、コレクション展は何度でも行けるので、
何やってるか、知らないまま、来てみた。

今見たら、年パス、6月から一気に3,000円も値上がりしてるんや!
しかも同伴者無料の制度もなくなるらしい。
これも「美術館もそれぞれに採算取れ!」って流れの一環なのか。
この国の文化への理解度の低さは、ほんま目を覆わんばかりですわ。
ものすごいお宝ばかり並んでるのに、外国人にも無料やった、
ソウルの韓国国立中央博物館が、その理解度ってポイントで、
羨ましくて、たまらない。

企画展は「笹本晃 ラボラトリー」というのをやってました。

うむむむむ!わがんね!
興味が持てねえ!
外国人も含め、熱心に観てらっしゃる方もいらっしゃったので、
分かる人には分かる何かがあるんだろうけど、
ワシには、ほぼ入ってこなかった。
今、思い出しても「なんや大きなもんが、吊り下がってたり、
壁一面上映されてたりしたなあ。ってことくらいしか残ってない。

こういう芸術家たちの、たちの芸術的確信て、どこにあるのだろうか?
芸術的ベクトルは、どこを向いてるのだろうか?
「これが作りたい」「これで出来上がり」と、どこで判断するのだろうか?
ワシには、それすら伝わってこない。

一連のシュールレアリズムや、マルセル・デュシャンは、
ワシもおもろいと思うこともある。
けど、彼らの今までの芸術への見直し、
何にも縛られないという傾向が、
こういう、ワシには歯が立たない流れを産んでしまったのかもしれんなあ。

全くの素人のワシからすると、
「権威からの逸脱」を目指した結果が、
「値打ちこく」という、ある意味、「自分で自分を権威づける」
方法を生んでしまってる気がする。

こういう現代アーティストたち、
作品に添えた書き言葉や、動画などの話し言葉で、
作品に説明を上乗せして行くのも、
なんだか、言い訳っぽい気がして、はっきり言って、めんどくさい。

最初の作品に向かう「衝動」はあるんだろうけど、
あるとしても「きれいなもの」とか「でかいもの」と言った
具象的なものではなく、
「変なこと」とか「びっくりするもの」と言った、
観念的なものなのではないだろうか。
観念は、必ず言葉を必要とするからなー。

で、使われる言葉は、大抵分かりにくく、難しそうに聞こえる。
その方が値打ちこきやすいし、賢こそーだしなあ。
言ってみれば「肥大化した自己承認欲求の成功例」に思えてしまうのよなあ。

ポスターが作品より作者よりなのも、
その「肥大化した承認欲求」と見ると、
すんなり理解できちゃう気がする。

以上、ズブの素人の感じたままの意見です。
関係者の皆さん、鼻で笑ってやってください。

な、感じだったので「コレクション1:私/行為」の方が、
ワシにはオモロかった。
もちろんコレクション展なので、前に観たことあるやつもあったんだけどね。

コレクション展なので、脈絡はあまりなし。
以下、オモロかったのを写真でご紹介いたします。

う〜〜む、訳わからんくても、おもろいと思うものもあるんよなあ。
ワシの「おもろい」の基準がよう分かりませんわ。

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