ジョン・レノンの命日にカニコーセンを熱く語る。

去年のジョン・レノンの命日にワシはカニコーセンについて熱く語っていた。

何してるんだか。

その去年の文章

カニコーセンさんが、ジワジワとワシに沁みてくる。
一聴だけだと、コミックソングにも聞こえてしまうが、
本当はいまどきの音楽では珍しいほど社会派なんじゃないかと思う。
音楽の中での「社会派」は、ある意味確立されたジャンルみたいになってて、
カニコーセンさんは、そこからはみ出しているから、
分類しづらいところもあるんだけど、
今の時代に生きて行く悲しみをいつも背負って歌っている、
という意味で、カニコーセンさんは社会派なんだと思う。

ワシは以前「サブカルチャー」に対して否定的な意見を書いたことがあるのだが、
カニコーセンさんほど自覚的にサブカルチャーであるのは、別だと思う。
メインカルチャーを斜めに見たり、憧れたりしながら、
振り返って、自分の今を見つめる、
メインカルチャーという鏡に照らして初めて見える自分、
という意味でのサブカルチャー。

だから、カニコーセンさんの歌には「おっさん・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」など、
替え歌が多いのかもしれない。
替え歌が多いから、コミックソングに聞こえてしまうのかもしれないが、
本人は、そう聞こえることも見越したうえで、
確信犯的に、笑いの向こうに哀しさを据えて、歌ってる気がする。

替え歌が多いためか、なかなかYou Tubeでは
見かけないカニコーセンさんだが、
知り合いのさわさんが、先週の拾得のライブをアップしてくれた。
鴨志田 穣さんの本の題名から取ったと言う題名を、
カニコーセンさんなりに咀嚼して消化して昇華した曲だと思う。
ここではコミック的な要素はなく、歌いあげる。

酔わないではいられない自分、
酔ったままでは家族に顔を合わせられない自分、
なのにうちには帰りたい自分。
鴨志田さんの魂が、カニコーセンさんの魂と共鳴して、
ひとつの歌に辿り着いたのだという気がする。
じっくり、じっくり、聴いてみたい人だ。

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