ひょんなことから広告業界に身を投じて早や三十云年。
たまたま入った業界ではありますが、
元々文章を書くのが大好きだったので、
コピーライターとしての壁には何度もぶつかったものの、
適性については大きく悩むこともなく、
今まで過ごしてまいりました。
これからは、広告に捉われず、
文章に関わる仕事なら、
なんでもやって行きたいと思っておりますが、
まずは、今までやってきた広告の仕事中心に、
自己紹介をさせて頂きたいと思います。
橋本ヒネモス、1962年6月19日生まれ
本籍京都市、大阪枚方育ちの59歳です。
枚方市立五条小学校→枚方市立第四中学校→
大阪府立寝屋川高校→京都大学文学部と進みました。
大学は卒業するのに、5年かかりました。
高校の先輩に、中川五郎さんと、チチ松村さんがいるのが、やや自慢です。
大学の同級生にボ・ガンボスのどんとがいるのも、やや自慢です。
面識はないですが。
1986年、㈱大広に入社。クリエイティブに配属されました。
時は、コピーライターブーム、糸井重里さんや、仲畑貴志さん、眞木準さんなど、
綺羅星のようなスターに憧れてこの業界に入ったので、
当然、グラフィックのコピーを書きたかったのですが、
時代は、電波が主流になり始めた頃、
まずは、と、ラジオCMを担当させられ、ローソンと近鉄電車のラジオCMを中心に
年間200本越え、とにかく千本ノックのように、作って作って、作り続けました。
その頃の作品は、手元には残ってないですが、
そこで、「広告」「話し言葉」「コミュニケーション」と言った基礎体力を
植え付けられたのではないか、と思います。
ラジオ主体でしたが、なんとなく「電波担当」と括られたため、
次第にTVの仕事も増えてきました。
入社しばらくしてやって来たのが、バブル時代。
今まで広告したことのないようなBtoB企業が、
リクルートのため、広告を打ち始めました。
初めて、自分の納得する企画が採用されたテレビCMも
リクルートのためのCM、ダイキンの企業広告でした。
【ダイキン工業/企業】(プランナー/コピーライターとして)
当時の大広CR局長がふと思いつき、「若い奴らで好きにやってみい!」と言われ、
本来所属してる部署の仕事とは別に、
20代の数人でプロジェクトのようなチームを組みました。
そのチームで、ホンマに好きにやらせてもらいました。
【任天堂】(プランナー/コピーライターとして)
【和歌山JAグループ/たねなし柿】(プランナー/コピーライター/クリエイティブ・ディレクターとして)
【ユニバーサル・ジュネーブ】(プランナー/コピーライターとして)
その頃、レギュラーとして担当していたクライアントは、
阪神電車、タイガー魔法瓶、江崎グリコなどでした。
【阪神電車】(クリエイティブ・ディレクタープランナー/コピーライターとして)
上のCMは好評だったようで30年近く後、リバイバル制作されました。
2017年度バージョンは橋本ヒネモスの担当ではありませんが。
【江崎グリコ】(プランナーとして)
【タイガー魔法瓶】(プランナーとして)
エースコックでも、レギュラーチームが忙しいとき、
ヘルプとして、いろいろ作らせて頂きました。
【エースコック/ワンタンメン】(プランナー・クリエイティブ・ディレクターとして)
清水ミチコさん出演のCMなのですが、なぜかYouTubeが貼り付けられません。
こちらからどうぞ。
2002年、転勤で大広九州支社(現 ㈱大広九州)に赴任します。
大広九州は、クリエイティブスタッフも10名弱、
電波担当、グラフィック担当などと言ってられません。
結果、念願のグラフィック広告を作りまくりました。
(コピーライター/クリエイティブ・ディレクターとして)
もちろん、TVCMも、作っていました。
【大分むぎ焼酎二階堂】
(コピーライター/プランナー/クリエイティブ・ディレクターとして)
【マルタイ/長崎皿うどん】(プランナー/クリエイティブ・ディレクターとして)
【BIVI福岡】(クリエイティブ・ディレクターとして)
【武田メガネ】(クリエイティブ・ディレクターとして)
作品としては残ってませんが、九州と言えば、ダイレクトマーケティングの本場、
DMのインフォマーシャルやチラシなども相当作り、鍛えられました。
2006年、大阪に戻ります。
福岡で勉強したこともスキルに加えて、TVやグラフィックやWEBも、
作らせて頂きました。
【阪神電車/なんば線開通】(プランナー/コピーライター/クリエイティブ・ディレクターとして)
【揖保の糸/京野ことみデビュー】(プランナー/コピーライター/クリエイティブ・ディレクターとして)
【JAバンク兵庫/さくらまや】(プランナー/コピーライター/クリエイティブ・ディレクターとして)
【関西サイクルスポーツセンター】(コピーライター/クリエイティブ・ディレクターとして)
(クリエイティブ・ディレクターとして)
そして、2011年に大広DM局に移動。DMの基礎、新規獲得からCRMまで、
徹底的に叩きこまれました。
その後、2014年には、国内ネットワークという部署に異動。
ときどきCR的なこともしながら
グループ会社の方々とのパイプを太くしました。
【中浦本舗/どじょう掬い饅頭】(プランナー/コピーライタークリエイティブ・ディレクターとして)
30数年に亘る橋本ヒネモス史にお付き合い頂きありがとうございました。
自ら望んで重ねたキャリア、と言うよりは、流されるままではありましたが、
結果的には、広告制作のあらゆる現場を廻らせて頂けたように思います。
地域的にも、転勤で駐在した福岡はもちろん、
東京での制作も数多かったため、東京でのコネクションもいろいろと広がりました。
根っこには、物書き、コピーライターとしての橋本ヒネモスが、どんとおりますが、
もちろん、CMプランナー、クリエイティブディレクターとしての経験もあります。
ひとりで動くことも可能ですし、
チームで動くとしても、1コピーライター、プランナーとしてでも
チームをまとめるクリエイティブディレクターとしてでも動けると思います。
作風もご覧のとおり、大阪出身らしいアホなもんから、
本来の個性かもしれない、叙情的なものまで、
幅広く対応できると思います。
【主なクライアント】
近畿日本鉄道、ローソン、黄桜酒造、ダイキン工業、任天堂、JA和歌山、
大和銀行、AG、江崎グリコ、タイガー魔法瓶、阪神電車、タカノフーズ、
三和ファイナンス、シンキ、ユニバーサルジュネーブ、きんでん、エースコック、
二階堂酒造、九州電力、NTTドコモ九州、はせがわ、Bivi福岡、マルタイ、
大阪ガス、小林製薬、揖保の糸、JAバンク兵庫、ドギーマンハヤシ、
関西サイクルスポーツセンター、中浦本舗、JA福井、サンスター、白鶴。
【主な受賞歴】
ACCファイナリスト、ACC地域奨励賞、ACC賞、ACC音楽奨励賞、ほかACC各賞。
TCC新人賞ノミネート(3回)、OCC新人賞、OCC賞ノミネート(2回)
FCC賞ノミネート、準朝日広告賞、消費者のためのなった広告コンクルール
福岡広告協会賞金賞、銀賞ほか。ADFEST入賞、
毎日広告賞優秀賞(公募)、宣伝会議賞協賛企業賞(公募)
OAAA広告エッセイ特別賞(公募)、ご教訓カレンダー 多数(公募)
と、今までやってきた広告の仕事を紹介して参りましたが、
これからは、今までやったことないようなことを
やってみたいという気持ちが強くなっています。
たとえば、広告でも、今までは会社でレジェクトされてたような
個人のお店やお仕事のお手伝い。
広告以外でも、たとえば、体験レポートや旅行記などの文章、
ガイドブックのライターとかも、やってみたい気もします。
あ、映画のプロモーションとかも機会があれば、挑戦してみたいと思います。
そして、もっと広く、文章に関わることなら、何でも書くし、相談に乗るような
そんなスタンスで、仕事できれば、面白いな、と思ってます。
たとえば、子どもの夏休みの読書感想文や作文のアドバイス(代筆はだめです!)、
昔の代書屋みたいに、ラブレターなら代筆もOKか(笑)
なんとなく、昔、近所にあった製作所の、
機械やったら、なんでも直してくれるおっちゃんの
文章版みたいなことができれば、ええなあ、と思い描いてます。
もちろん、広告でも、代理店の立場離れたからこそ、できることもあると思ってるので、
そこでも、もう一度、面白いことできたらな、と思っております。
どうぞ、よろしくお願いします。
【おまけ】
直接仕事に関わることではありませんが、
橋本ヒネモスのその他の得意分野も紹介しておきます。
【くそ音楽好き】
抑えよう抑えようと思いつつ、年間150本ほどライブに行ってます。
ここ2年は社会状況で減っておりますが、
それでも2020年は生ライブで91本、配信で58本、計149本行きました。
と言っても、観客20人~50人くらいの小さな箱でのライブがほとんどですが。
大阪ベースに、関西一円、年に何回かは地方に遠征してライブ聴きます。
ジャンルはバラバラで「どれ!」とは言えませんが、「パンク・アット・ハート」な音楽、
都会的というよりは、いなたい音楽ということで括ってしまえるかな、とは思います。
知り合いのミュージシャンも大阪中心に広がってますので、
もし、「この人が使いたいのだけど」と言うとき、一度ご相談頂ければ、
もしかしたら、お役に立てるかもです。
繋がりのある方で、今までにCMやTV番組、
映画などで起用されたことがあるミュージシャンを上げると、
タテタカコ、知久寿焼、奇妙礼太郎、T字路s、モアリズム、ザ・たこさん、鈴木常吉、
ハッチハッチェル、梅津和時、ペーソス、踊ろうマチルダ、ザッハトルテ、
マリオネット、ふちがみとふなと、イノトモ、塚本功、ベベチオ、
古謝美佐子、きいやま商店、大工哲弘、あたりでしょうか。(敬称略)
マリオネットさんは橋本ヒネモス経由で、
二階堂のTVCMに三年ほど、音楽を提供して頂きました。
他にも、ワンクッションくらいで繋がる人がたくさんいると思いますので、
とりあえず相談してみてください。
【あほ沖縄好き】
これも音楽好きの流れで沖縄民謡にはまって沖縄に行き出してから、
かれこれ30年ほど経ちます。
2020年、2021年は、これも社会状況で行けてません。
発作が起こりそうです。
10回目くらいまでは数えてましたが、めんどくさくなって数えるのは止めました。
年に3回ほど、3~4泊で、ときには1週間以上行く生活を30年ほど続けてますので、
足したら1年くらいは住んでることになるかもしれません。
宝くじ当たったら、移住して、死期を悟ったら京都に戻って死ぬのが夢です。
本島だけでなく、宮古・石垣の先島諸島も回ります。
バニラが大阪から飛んでからは奄美にも行きました。
旅行プラン考えるのが好きなので、
個人的なご旅行のご相談も無料で承ります。
但し、かなり偏った情報で良ければ、ですが。
もし、万が一沖縄がらみの仕事があれば、すぐにでもご相談ください。
コピー書きますし、アドバイスもいたします。
行け!と言われれば、場合によれば、自費ででも行きます。
こんな、どこにでもいそうなオッサンですが、
心からよろしくお願い申し上げます!!
“WHAT’S HINEMOSS。「橋本ヒネモスの人となりと、今までのお仕事」。” に対して1件のコメントがあります。