「人類館事件」を知っていますか?「博覧会と差別」@大阪国際交流センター。
※ワシがきちんと理解しきれてないからか、
少しわかりにくい文章になってると思います。
(聞いてる時は、わかった気になったんやけどなあ。)
ご了承ください。
昨日、土曜は、国際交流センターに、行ってきた。

「国際交流センター」と聞いた時から「なんか知ってる気がするなあ」と思ってたんやけど、
行って初めて気がついた。
仕事で来たことあったとこでございました。
ほんまにワシの海馬め!
昨日、今日と、ここで、大阪人権博物館(リバティおおさか)主催の、
「博覧会と差別」という展覧会をやってたのだ。

というか、ワシ的には同じ建物であった、
金城カナグスク馨さんのギャラリートークがメインだった。
予約もなかったので、舐めていた。
ギリギリに入ると、満席どころか、立ち見も、
部屋に入りきれないくらい溢れている。
しかし、そこはライブで培った技術と、遠慮のなさ、
ズブズブと奥に進み、
席と席の間の床に座り込む。
ものすごく面白かった。
いや、面白かったと言う言い方は語弊があるか。
知らないことばかりで、勉強になりまくった。


いわゆる人類館事件は、1879年の琉球処分から、
わずか24年後の1903年、大阪の新世界あたりで開催された、
内国勧業博覧会の「学術人類館」で、アイヌや生蕃(台湾高山族)、
朝鮮などの民族と並び、琉球人も、生きてる人間が、
見せ物ののように、展覧会の展示物として陳列されたことに対して、
清国や琉球が抗議した事件、
というのが、このギャラリートークを観るまでのワシの理解だった。
しかし、琉球サイドの意見は「琉球をアイヌや生蕃と一緒にするな」と言うものだったり、
「陳列されてる女性は娼妓だ」と言ったり、
今の常識から言うと、琉球側もかなり差別的な意識の上での反発だったらしい。
根本に、平等意識や人権意識があってのことではない。
このことは、全く知らなかったので驚いた。
けど、戦前、大日本帝国憲法下でのことだし、
当時の人権意識のこととか考えると、ある程度、仕方ないのかもしれない。
そして、この時期の沖縄は、併合されて、方言札などを使って、
日本人に同化しようと努めていた時代。
こういう意見が出てくるのは、
至極、当然なのかもしれない。
けど、だからと言って、この琉球人の意見を肯定するわけにも行かないのだろう。
これは、琉球人が、自らの傷、黒歴史として、
向き合っていかなければいけない問題なのだろう。
それ以上に、こういう同化を、琉球やアイヌや、他のアジア諸地域に、
強制しようとした、内地人や日本政府が、このことに向き合わなければいけないのは、
当然のことだろう。
この「同化」を強制するという意識は、
第二次世界大戦の大東亜共栄圏に、真っ直ぐ繋がっていくものだし、
「同化するべき他民族」という優越意識は、
基地問題を、沖縄だけの問題とするかのような、
今の意識にも繋がっているように思える。
金城カナグスク馨さんは、「人類館事件」は本当にあったのか?と問う。
「人類館」は実際に存在した。
しかし、「事件」にはなってないのではないか、と問う。
聞いてて思ったのは、こんな今の時代ならびっくりするようなことが、
事件になってないことが、より大きな事件なのかもしれない、と言うことだった。
金城カナグスク馨さんは、「人類館」で他文化を理解したつもりになることが、
余計に差別に繋がってるのではないか、というお話もされた。
その理解は、対等に向き合った上での理解ではなく、
日本人のわかりやすい形に翻訳した上での理解、
その結果、間に横たわる違いを維持できなくなる。
マジョリティがマイノリティを飲み込もうとする。
今も、いろんなフェーズで見られる現象。
「人類館」を「事件」として過去の出来事にしてしまうのではなく、
今も続いてる「問題」と考えるべきなのではないか、と言われる。
なるほど。
歴史を見ることで、今がパッと見えてきた気がした。
「同化しろ」という高圧的な圧力を、
「理解」という言葉で軟化して、強制してるのか。
その上で「異和共生」ということを言われた。
理解するのではなく、「わからない」ことを受け止める。
展示される側、展示を観る側、
未開と文明という二元論的な捉え方では、
溝は埋まらない。
その二元論の隙間にこそ、事実がある。
普通は邪魔扱いされる壁を、壁のまま、受け入れる。
壁を一枚板だと思うと、二元論に陥いってしまう。
二枚、三枚あると思うことで、隙間が出来てくる。
隙間を感じることが、互いに歩み寄る手立てではないか。
沖縄人の問題は沖縄人が解決すべきで、
日本人の問題は日本人が解決すべき。
沖縄人が、他民族を差別した、という黒歴史は認めるべきで、
この時から沖縄人の「人類館事件」が始まった。
日本人の「人類館事件」は、これ以前から始まってて、
「学術人類館」というパビリオンでわかりやすい形として現出したのだ。
その双方の事件は、今も続いているのだろう。
その現出のひとつが基地問題なのだろう。
見たくないものを見ない。問題をないことにする。
基地問題を沖縄だけの問題とすることで、
内地の人は、それを外化する。
関わるとしても「やってあげますよ」感を抱きながら、それにあたる。
それは、人類館の思想と本質的には変わらない。
最後の方に仰ってた言葉が、
この問題を超えた、人間の根っこにある差別意識の普遍的な話に思えて、
興味深かった。
「他者を理解してるという自分を意識することで、
他者を差別してないという側に立ってしまう。
本来は、自分自身を理解することが必要。
他者を理解してる気分になることで、
自分を理解することから目を背けることが出来てしまう。」
うむ、なるほど。
その後の質疑応答も、多少、衒学的な質問もあったけど、
みんな真剣に考えてるんやなあ、
と嬉しくなってしまった。
余談になるけど、百按司墓の遺骨問題のことも思い出した。
あれも、同じような意識の上の問題かもしれんなあ。
ほんまは、この後、京都に行くつもりやったんやけど、
普段使わん頭使いまくって、かなり疲れてしもて、
町中に出る気力が出なかったんで、
西成の釜晴れでやってるライブに向かったんであった。