「一億総中流」と「自己責任」という言葉の大きな罪。BBBムービー「取り残された人々:日本におけるシングルマザーの苦境」。

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まず驚いたのは、この映画が日本に生まれ育った人ではなく、
オーストラリア出身の西洋ルーツの監督の作品であると言うこと、
しかも、その人が男性である、と言うこと。

けど、もしかしたら、日本生まれ日本育ちでなく、
シングルマザーになりうる性でないからこそ、見えてきたところもあるのかもしれない。
そう思ってしまうほど、この映画は、
客観的視点で、理路整然と丁寧に作られている。

社会的問題を扱うドキュメンタリーを観るときは、
頭の中に「これはなんで?」という疑問点を書き込む癖があるのだが、
この映画は、終わるまでに、その疑問点に対する映像を、
すべて用意してくれていた。

例えば、「離婚したお父さんは、養育費を払わないのか」とか、
「シングルファザーだっているんじゃないの?」とか。

ある意味、すごく冷静に客観的に作られた映画だけど、
根底には、きちんと対応しない政府に対する怒りや、
シングルマザーに対する温かい視線がある。
だから、どんなに理路整然としてても、
冷たい印象は、まったく受けない。

ワシ、「子ども食堂」のニュース観るたびに、
「行政がやれよ!」と思ってたんやけど、
そうか、あの場所って、食料を提供するだけでなく、
子どもたちの居場所「サードプレイス」になってたんやな。
だからって、運営費をボランティアに任せる行政を肯定するわけではないけど。
公費で、ああいう場所、作って、それを運営する人たちに、
ちゃんと支払い、してあげて欲しい、と思う。

ここからは、ワシの感想なんやけど、
こういう状況を生んでしまった背景に、
高度成長期からバブル期にかけての「一億総中流」という言葉と、
ここ20年くらい、何かの度に出てくる「自己責任」という言葉が、
すごく大きなマイナスの作用を持っている気がする。
「一億総中流」なのだから、そこからこぼれ落ちることは、恥ずかしいこと、
「自己責任」なのだから、人に頼らず、自分で何とかしなければならない。
彼女たちが、そんなことを恥じるのではなく、
これだけの経済国、これだけの先進国で、
こういう貧困層が、こんなにたくさんいることを、
社会全体で恥ずかしがらんとあかんと思う。

家族のあり方、社会のあり方が変わって行く中で、
この意識だけは変わらなかった結果、
シングルマザーが一人で抱え込む状況が生まれてしまったのではないか、と思う。

確かに子どもを食い物にするような事件のことも最近はよく聞くので、
地域で子どもを育てていた頃に、一気に戻るのは、難しいのかもしれない。
けど、それに変わる受け皿を作っていかんとあかんのやな。
もちろん、シングルマザーが経済的に困らない環境も、ないとあかんのやろうけど、
きっと、それだけでは足りないのだろう。
シングルマザーも、子どもも安心できる居場所、
それが社会として用意できない限り、
少子化の問題は、解決していかんのやろなあ。

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