戦争は、動物たちの生活の基盤をも奪い去る。BBBムービー「犬と戦争」。
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今まで、そんなことを考えたこともなかった自分を反省した。
戦争で傷つくのは、兵士だけじゃない。
そして、人間だけでもない。
いつも、皺寄せは弱者に襲いかかる。
人間と共に生活し、人間なしでは生きていけない動物たちもまたしかり。
この状況には、怒りしか湧かないのだけど、
ウクライナで放置せざるを得なかった動物たちを、
命を懸けてまで救おうとする人々がいることに、
なんだか熱いもんがこみあげてしまった。
戦争でPTSDに苦しむ兵士たちは、
犬に心を救われたから、と言って、前線まで犬を救いにいく。
すごいことだと思う。
ワシには、絶対にできない気がする。
彼らは、それほど大きなものを、動物から受け取ったのだなあ。
それほど大きな力が、動物にはあるのだなあ。

先日、テレビで、福島で被爆して、もう売り物にならない肉牛たちを、
ずっと世話してる人のドキュメンタリーを観た。
しかも、一頭二頭ではなく、何10頭、何100頭単位で。
遠くに引っ越したりして、面倒見られなくなった元畜産業の人たちの牛たちも、
世話しているらしい。
素晴らしい行いだけれど、
その行き着く先には、何があるのだろう、と思ってしまった。
「死ぬまでの面倒」、ワシなら、何頭か死んだら、
「少し世話が楽になった」と思ってしまう気がする。
だけど、彼は、瀕死の状態の牛も、必死で介護して、
できるだけのことをして、看取っていた。
この映画を観て思ったのは、そうか、そこにあるのは「愛」なんやな、
とわかった気がした。
「愛」でしか、この動物たちは救えないのかもしれない。
ウクライナやガザだけやない、
今、世界中で、こんなふうに人間の都合で、
苦しんでいる動物たちがいる。
そして、そういう動物たちがいるということは、
同じように苦しんでいる人間もたくさんいる、ということだ。
動物たちを救えるのが「愛」だけなら、
人間を救うのも、きっと「愛」だけしかないのだろう。
やっぱりジョン・レノンは正しかったんやなあ。
と、話は飛躍していった。
少し、気になった、と言うか、観づらかったのは東出昌大さんのナレーション。
いや、東出さんのナレーション自体は、すごいいいのだ。
朴訥とした感じ、声の質、感情を抑えたトーンも言うことない。
だけど、なぜ監督の立場から一人称のナレーションなのだ。
その監督は、画面に出てくるし、女性なのだ。
いや、男女の違いはあっても、まだいいのかもしれないのだが、
このナレーションは、どう聴いても東出さんでしかない。
観ながら、いちいち、「あ、これは東出さんじゃなく、監督の女性の言葉」と、
翻訳する作業が付きまとって、どうにも面倒だった。
できれば、女性、男性でも顔が浮かぶほど有名じゃないナレーターにするか、
監督は画面に出てこないようにするか、
ナレーションを三人称にするか、
どうかしてくれた方が、素直に映画の内容に、
入っていけたんやないかな、と思った。