国家が個人を蝕むことは、本当はあってはならないことだと思う。BBBムービー「TATAMI」。
イランを舞台にした映画、二本目です。
あ、舞台はジョージアが主か。
主要登場人物がイラン人の映画です。
公式サイト
一瞬たりとも目が離せない緊張の連続で、
そんなに長くない映画やのに、
観終わった時は、ぐったりしてしまった。

「ほんまに国がここまでスポーツに介入するの?」
「もしかしたら反プロパガンダのネガティブキャンペーンの映画やないの?」
と疑ってしまうくらい、
強烈な国家のスポーツへの干渉。
観終わってから公式サイト観ると、
映画にも出てた人がイラン人で共同監督なので、
フェイクではないのだろう。
スポーツとナショナリズムは、すごく絡みやすいものなのだな。
けど、個人個人が国のために戦うってのは、
ワシ、どうしても、納得できない。
自分のために戦ってるのが、
おまけで、国のためにもなるくらいならええんやけど、
初めっから「国のために」ゆーてしもたら、
「なんでそんなもんのために半生捧げなあかんねん」思ってしまう。
なので、この主人公の女性にすごく共感した。
けど、そういうとき、必ず、国家って、
家族を人質にするんよな。
それって、明らかに犯罪行為で
「国家だから」と許されるもんやないと思う。
むしろ、そういうことやる国家は、
国家の資格取り上げられんとあかんと思う。
国家の資格って、なんやねん!という話は置いといて。
昨日観たテレビのドキュメンタリーでも、
米国で中国の民主化を訴える中国から亡命した人が、
本国に残してきた家族のために国家に苦しめられる話をやってた。
ずっと思ってるんやけど、
国家って、個人個人が幸せになれるように、
人間が考えた暫定的なシステムなんやと思う。
その国家が、個人の幸せを蝕むのは、
ほんまに本末転倒。
違うシステムに移行しなければならない状態やと思う。
「卑怯」という言葉を、
国家に向かって投げられる社会であること、
それが多くの人に支持を得る社会であること、
それが、今より少し、健全な社会やないかな、と思った。
もちろん、そんなことする国家がなくなることが、
一番健全な社会なんだろうけど。
この予告編のコメントを、女性柔道家が主役ってことで、
阿部詩さんにやらすのは、なんだか気の毒な気がした。
あと、桜木健一さんがコメントを寄せてるのが、個人的にはツボ。