「パウル・クレー展」創造をめぐる星座@兵庫県立美術館。
告知で知ってから、始まるのを楽しみにしてたパウル・クレー展。
気がついたら、次の日曜までになってしまってた。
焦って、昨日、行って来た。
やっぱり結構、混んでて、「ほんまもっと早く来とけばよかった!」思いました。



観応え、ありましたわ〜〜。
クレーの生涯に合わせて、交友関係のあった画家や、
その時、クレーが掲載されたりしたメディアとかまで展示してて、
「クレー・クロニクル」と言っても、差し支えない充実した展覧会でした。
展示も、若い頃からの編年的な展示だったので、順を追って、
写真載せますね。

25歳の頃の作品、のちのシュールな視点はあるけど、
基本具象的やったり、エッチング作品やったり、
けっこう意外なところからのスタートでした。


次第に造形的にも、色彩的にも、
ワシの知ってるクレーになって行く気がした。

30歳前後で、カンディンスキーと出会ったらしい。
その頃はカンディンスキーも、こんな絵、描いてたのか。

40歳くらいの作品。
ああ!もうクレーや!!

キュビズムの影響も。


この辺の色合い、好き。
チュニジアへの旅行で色彩に目覚めたらしい。

こういうクレーの線も、好きなんよな〜〜。
こういうとこが、幾何学的過ぎる気のするカンディンスキーより、
クレーの方が、好きな理由なのかもしれない。


色が沈んで来たのは、第一次世界大戦で、
懇意にしてたが画家たちが亡くなった影響もあるのかなあ。
この頃は、バウハウスで先生もしてたらしい。


なんとも不思議な色彩。
下の絵の抽象性と具象性の、矛盾してない同居、かなり好きやなあ。

バウハウス展のための絵葉書「愉快な面」という作品。
ワシが「クレー」と言われて、まず頭に描くイメージは、
こういう下地の色と、この線やな。

1929年、同じくバウハウスの先生やってたカンディンスキーが、
クレーの誕生日に贈った絵らしい。
この頃は、毎年、誕生日に絵を贈りあってたらしい。
なんかええ話やなあ。

ああ!なんかワシの中のクレーの完成形って気のする作品。

なんの脈絡で出て来たのか忘れたけど、
ヨハネス・イッテンという人の版画集からの作品。
輪郭線のような線の束で描いてるのが、面白いと思った。





この辺、全部好き。
色も形も、観てて、ほんまに飽きない。

急に、こんな絵が出て来て、ちょっとビックリした。
ナチズムからの攻撃があって、ベルンに亡命した頃に、
数多く描いたらいい肖像画のひとつ「殉教者の頭部」。
と言うと、反ナチズムの絵画みたいやけど、
クレーは「反ファシストの芸術などというものはない。
あるのは芸術だけだ」と考えてたらしい。
これは現実逃避とかではなく、
芸術の純粋性を考えての言葉だと思う。
かっこいい!
けど、ナチスはクレーを迫害して、
退廃芸術展にクレーの作品を展示したり、銀行口座凍結したり、
コレクションを押収したりしたそうだ。
どの時代も、力で他人を押さえつけようとする人たちって、
芸術に対して、センスも寛容性もなくて、
わかりにくくて、直接的じゃない表現を、
迫害しようとしてる気がするなあ。
自分のわからんもんは認めないんよね。
これからの時代も、権力側から、そういう動きが出て来たら、
要注意かもしれない。
けど、この退廃芸術展、ナチスは、ある意味晒し者にするために、
やったんやと思うけど、
めっちゃお宝の山やったんちゃうやろか。
少なくとも、同じ時期に開催されたドイツ民族の芸術性を看板にした、
「大ドイツ芸術展」より、遥かに面白かったやろうし、
後世への影響も計り知れなかったんやないかと思う。



クレーは1940年、ナチスの衰退や敗戦を待つことなく、
スイスで亡くなる。
墓石に刻まれたのは、展覧会でも取り上げられてた、
「この世では、ついに私は理解されない。なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから」
という言葉。
ちょっとカッコ良過ぎるけど、
目指してたところは、わかる気がする。
そら、ナチスには理解できんやろなあ。
ワシが「おもろい」と思う絵には、
この言葉のような、この世にあらざるものと繋がろうとする、
意思の力、みたいなものがある気がするなあ、と思った。
明日までなんで「今さら」なんですが、
パウル・クレー展、おススメっす!

