もしかしたら、SNS中毒の人に向けた映画なのかも。BBBムービー「ハード・トゥルース 母の日に願うこと」。

※ややネタバレあります。

公式サイト
嫌すぎる。
ほんまに困ったオバハン。
そこそこ、ええ家に住んでて、きちんと暮らしてはいるが、
少しでも自分の気に入らないことがあると、当たり散らす。
いや、少しでも、ゆーか、
他人のすること、ほぼ気に入らん感じやもんなー。

自分の言うことは、すべて正しいとして、
悪態を吐き散らす。ストレスをぶつけまくる。
相手の気持ちは、考慮どころか、想像すらしない。
相手に勝つか負けるかしか考えない。
相手の話を聞く気のないストレスの吐き出しは、
たとえそれが正論であっても、
相手を不快にする、傷つける。

結果的には、周りの他人のストレスも増大させるけど、
自分のストレスも解消できるわけではなく、
余計に溜まっていく感じ。
ひどい言葉は、誰よりも自分を傷つけるものなのだなあ。

昔読んで、なるほど!!思った話、思い出した。

ここまで、自己完結してたら、どんな正論も彼女には届かない。

これって、SNSで、悪態つく人の悪循環と同じなんちゃうやろか。
彼女の場合、SNSではなく、リアルな人生を歩んでるので、
人との直接の交流は、まだ何とか残ってて、
偉大な妹のおかげで、もしかしたら、
少し、立ち止まって、違う方向を見られるかも、、
という希望を少し感じた。
妹の「理解できないけど、愛してる」って、
すごい言葉やなあ。
正論は届かなくても、愛なら、
もしかしたら届く可能性があるのかも。

SNSで、ひとり部屋の中で悪態ついてる人は、
直接、関わる人も少なくて、
愛を持って接してくれる人となると、さらに少なくて、
この主人公以上に、救われる可能性は低いのかもしれない。

もしかしたら、この映画、
SNSの場面は、そんなに出てきてなかったけど、
裏の意図は、SNSで悪態吐きまくってるSNS中毒の人に、
「直接人と関われ、自分を理解できなくても愛してくれる人に会え」
と言ってるのかもしれんと思った。

幸せか不幸かって、ほんまにその人を取り巻く、
他人も含めたスペックで決まるのではなく、
その人が、そのスペックとどう関わっていくかに寄るんやなあ。

この主人公、少し変われる兆しは見せるけど、兆し止まりで、
映画は終わる。
人間そう簡単には変われない。
という、事実からも、この映画は目を背けない。
分かりやすいハッピーエンドにせず、
あそこで終わるとこが、すごい大人な映画やなあ、思った。

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