絆は、現代の隣組か。

どっちも美しい関係っぽく見えるけど、
そこからはみ出す人を排除するために使われてる気がする。

【追記】
松本さんが教えてくれたけど、
「絆」は元々、牛の鼻に穴を開けて、輪っかつけて、
そこに通す柵に繋ぐための縄から来てる言葉らしい。

言葉って怖いなあ。
そんな語源、関係なく、
今、一般的には、美しい繋がりを表す言葉として、使われてるのに、
回り回って、本来の意味の「呪縛」的な役割を果たしてしまってる気がする。
しかもそれを美化して、尊い道徳のように思わせる効果まで伴って。

実は縛られるのが好き、安心するって人も多いので、
そういう人は自分から縛られてくれれば、別に構わないのですが、
それが、それ以外の、そういうのを拒む人を、否定する理屈になるのが怖いです。

縛られるのが嫌な人が、
「あんたは勝手に縛られてろ、ワシはそんなん嫌やから、ほっといてくれ」と思うように、
縛られたい人が「あんたは勝手に絆の外におれ。ワシは縛られたいんやから、ほっといてくれ」って、
お互い、好きなことをやる、
それぞれがそれぞれを否定しない、
ってのが、いいなあ、思います。

世の中、どうしても縛られたい組が、縛られたくない組を、
差別したり、否定したり、排除したりする傾向があるのが、
やだなー、と思います。
まあ、縛られたい組は、繋がりあいたいわけやから団結力あるけど、
縛られたくない組は、バラバラだから、勝てるわけないですけどね。
そういう勝ち負けの問題にしてほしくない、
ってのが、根っこにある気持ちですわー。

ちなみに、大阪府警の出してる酒は、
焼物のでかいトックリに大きく「絆」と書いてます。
怖いやら、おもろいやら。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日々雑感

前の記事

甚だしい気温変化。