【三渓園 前編】

横浜の中華街には、目もくれず、
ワシが向かった先は、本牧の住宅街を超えた先にある
三渓園であった。
先日、日曜美術館で観て、
関東にこんな落ち着いた庭があるとは知らず、
庭好きの血が騒いだのであった。
これを作った原三渓という人物への興味も募った。

果たして庭は素晴らしかった。
どちらかというと鄙びた田舎家風の建物や
ワビた茶室など、質素な建物が多く、
落ち着いた文人趣味に感じた。

原三渓という人は富岡製糸場にも繋がる、
明治〜大正期の大事業家で、
関東大震災後の横浜の復興に大活躍した偉人なのだが、
およそ、成金的な要素とはかけ離れてて、
岡倉天心などとも交流のある審美眼の持ち主だったらしい。
集めた美術品も独占することなく、
横山大観などが、まだ駆け出しの頃、家に集めて模写させたり、
お金まで出して、画家を育てたりもしたらしい。
本人の絵もあったが、なかなかふくよかで、
プロの画家には却ってないタッチで、
これが、ほんまもんの文人画なんやろなあ、と思った。
その美の巨人が、美意識の粋を集めて作ったのが、
この三渓園なのだが、
住居部分以外は「遊覧御随意」と額が
掲げてあり、一般公開されていたようである。

昔は、こうやってノブレス・オブリージュを
ちゃんと実現してるほんまもんの金持ちがおったんやなあ。

後編につづく。

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