音楽は何かと何かを繋ぐ「間」なのかもしれない。BBBムービー「ECMレコードーサウンズ&サイレンス」。
ちょい前にテレビの番組で星野源さんが、
キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」の素晴らしいさについて、
熱く語ってたのもあって、
そのレコード会社、ECMレコードのドキュメンタリー映画を観に行ってきた。

観ててふと思ったのは、音楽もコミュニケーションなんやな、ということ。
演者同士、楽器と演者、もちろん演者と観客、
いろいろな間でのコミュニケーション、
時には、大いなるもの(神)と人間の間のコミュニケーション。
コミュニケーションには、前提として、いろんな「間」が存在し、
その間を繋ぐものとして、コミュニケーションが存在する。
空間、時間、もしかしたら「人間」という言葉も、
人と人の間、それを繋ぐものとしてのコミュニケーションを
表す言葉なのかもしれないと思った。
そして、その中には、自分自身との対話、
というコミュニケーションも含まれるのだろう。
そのコミュニケーションで表される間が、
音楽にいろんな奥行きを与える。
そこには、クラシックもジャズも民族音楽も関係ない。
奥行きの空間を持ちながらも、
混じり気のない音が、真っ直ぐに空間を超えて、
スピーカーからこちらに向かってくる。
本当に、ひとつひとつの音が、
ものすごく美しく感じた。
デスクトップで作られた音楽が、
薄っぺらく感じることが多いのは、
このコミュニケーションがなくて、
いくつ重ねても、同じ、二次元の壁に、
色を塗り重ねただけのように感じられるからなんかもしれないと思った。
もちろん、デスクトップで作られた音楽でも、
わしの琴線に触れる音楽は、幾つもある。
それは、きっと、この空間や時間、人間を通して、
コミュニケーションを意識した音楽なのかもしれんなあ、
と思った。
映画を観終わって、印象的だった楽器を思い出すと、
ウードとバンドネオン、
この音が、強烈に人間臭く感じられた。
ウードの生音、聴いたことないかも。
ウード中心のライブ、観に行きたいなあ。