事実は動かない。目を背けてはいけない。BBBムービー「はだしのゲンはまだ怒っている」。

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これはイデオロギー、関係なく観るべき映画やなあ。
もちろん、映画観る前(観た後でもええから)、
「はだしのゲン」も、この機会に読むべき漫画やとも思う。

まず、あの原爆で何があったか、
人々はどうなったか、をできるだけ具体的に知るために、
この漫画ほど、補助になる作品は、なかなかないんではないかと思う。

映画観ながら、ワシも頭の中で、現実を想像してみた。
漫画を実写化してみようと思った。
しかし、どうしても上手く描けない。
中沢啓治さんの絵を思い出すのが限界。
それ以上のことを想像する想像力や知識がワシの限界を超えているのだろう。

実際、この漫画を初めて読んだ子どもの頃、怖くてたまらなくて、
それから原爆のことを想像すると、必ず、この漫画が頭に浮かぶ。
と言うことは、きっとこの漫画を読まなかったら、
ワシは、もっと貧弱な想像しかできなかったと言うことなのだろう。

せめて、原爆の実情に少しでも迫るために、
本当に多くの人に、この漫画を読んで欲しい。

映画に出てくる、この光景を目にした人は、
「本当にあの通りだった」と言う人もいれば、
「あんなもんじゃない、もっと酷かった」と言う人もいた。
そのことが、この漫画の大切さを物語ってるように思えた。

この漫画が世界では広まりつつあるのに、
当の日本では狭まりつつある。
悲しいことだ。恥ずかしいことだ。
日本人は、この現実を直視することを避けて、
意識の上で、放射能を薄めようとしてるかのようだ。
それも、保守論者が自分に都合のいいことだけしか認めない、
歴史修正主義のひとつなのだと思う。

この映画には、そちら側の論客も登場する。
それが、この映画の素晴らしいところやなあ、思う。
きちんと反対意見にも耳を傾けてこそ、
自分の意見を、相手に主張することができる。
だけど「はだしのゲンは手品みたいな物語」「後半は嘘ばかり」と
のたまうその人の言葉は、
言った端から地滑りを起こして、虚しく宙に浮く。
自国の非を一切認めず、誰かに責任転嫁するためだけの言葉が、
人に届くわけがない。

「はだしのゲン」を学校の図書館からなくそうとする理由のひとつは、
「鯉を盗むシーンがあるから」らしい。
確かにそれは犯罪かもしれないが、
そうしなければ生きていけなかった貧しい状況を教えるのに、
こんなに格好の素材が他にあるとでも言うのか。
教科書には載せられないこんなシーン、
注釈が必要ならなんぼでもつければいいが、
この理由は、ゲンを戦争教育に取り入れる理由にこそなれ、
排除する理由には、全くならないのではないか、と思う。

この映画を観たことを母に伝えると、
「実家にある本がボロボロになって何巻かはなくなってるので、
ひと揃え、調達して欲しい」と返事があったので、
中古の全巻を手配した。
ボロボロになったり、欠巻があったりする本は、
ワシが子どもの頃に手にして、必死に読んだ本なのであろう。
もう映画館に出歩くことも、キツくなってきてる母。
実家に帰る時、この映画のパンフレットを持って帰って、
渡そうと思う。
その頃には、ワシが手配した全巻、実家に届いてるはずなので、
もう一度、読み直したいと思っている。

「はだしのゲン」ってタイトルも、すごい素晴らしいけど、
この映画のタイトルも、ほんまに素晴らしいなあ。

この映画を観て、この漫画が、怖い以上に、
物語として、すごく面白かったことも思い出した。
だから、あんなに怖かったのに、必死にページをめくったのだろう。

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