「笑ったり転んだり」に、西方浄土を見る。

「野垂れ死ぬ」という言葉が、
こんなに甘美に聴こえるなんて。

歴代の朝ドラ・ソングの中でも、
一番好きかもしれん、ハンバートハンバートの「笑ったり転んだり」。

オープニングに一番を使うバージョンと二番を使うバージョンがあるみたいで、
今日は、「野垂れ死ぬ」の歌詞のある二番のバージョンでした。

正直、ドラマ自体には、まだ入り込めてないんやけど、
あの曲聴くと、一日が気持ちよく過ごせそうな気がして、
基本的には、毎朝、欠かさず観ている。
(観た後、二度寝してしもたり、起きられず録画で観たり、はあるけど)

メロディも気持ちいいし、
歌詞も素晴らしい。
何だか西行の生き方を彷彿させたり、
山之口貘さんの「生活の柄」を思い出したりもする、
スタンダード感のある名曲やと思ってる。

その流れからしても「野垂れ死ぬ」はふさわしい言葉なのだけど、
この曲の場合、その言葉に、若干の寂しさこそ感じるものの、
悲惨さは少しも漂ってこない。
少なくとも、ワシには、そうである。

もちろん「パートナーがいるから」、
って理由はあるんやろうけど、
それだけやと「野垂れ死に」の悲惨さを、
拭い切るには不十分な気がする。
「なんで『野垂れ死ぬ』に下手すりゃ、ウットリまで、してまうんやろ」
とずっと不思議に思っていたのだが、
先日、ふと気づいた。

「野垂れ死ぬかもしれないね」の前にある歌詞は、
「夕日がとても綺麗だね」だ。
夕日は、当然西に沈む。
日本では古来より、西には阿弥陀様の西方浄土があると信じられてきた。
ワシにも、その信仰はDNAレベルで染み込んでるのだろう。
この組み合わせで聴かされると、
「たとえ野垂れ死んでも、阿弥陀様が西方浄土で迎えてくれるのだ」
という気持ちが、無意識レベルで湧いてくるのではないだろうか。
だから、悲惨さ、以上に、甘美なものを、
この言葉に感じてしまうのではないだろうか。

しかも、この歌、最後は「西向きの部屋」で終わるのだ。
貧しいけど、慎ましく暮らす二人が、
阿弥陀浄土を思いながら、幸せに過ごす様子が、
浮かんでくるではないか。
少なくとも、ワシには、そうである。

あ!忘れてた!
ましてやワシ、一応、浄土宗の門徒なんである。
なおさら、阿弥陀浄土に惹かれるのも、
仕方なかろう。

これを計算してやってるなら、佐藤良成さん、すんげえなあ!と思うのである。

「野垂れ死ぬ」以外にも、「難儀」や「生活しなきゃと坐ったり」や、
「帰る場所などとうに忘れた」や、「日に日に世界が悪くなる」など、
ワシの琴線を刺激するフレーズに溢れてる。
古き良きフォークソングを思わせつつ、
ちゃんと今の時代にもリンクした歌詞になってるのが、素晴らしい。

ちなみにドラマ自体、まだひとつ、好きになりきれてないが、
「池脇千鶴さんの演技が、すんごいなあ!」と感心は、している。
毎朝、「松野フミさんを出せ!トキちゃん、早よ家帰れ!で、お母さん、出て来てくれ!」
と思いながら観ているのでありました。

そう言えば、8年前、夕方散歩してる時に、訃報が飛び込んで、
夕焼け見ながら、亡くなった人のことを思った感覚と、この歌が、
なんか、突然繋がりました。
(20260110記)

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