銀色の切手。

一昨日、京都から帰ると、ポストに銀色の切手の貼った
葉書が入っていた。
ああ、十一月に入ったもんな。喪中の葉書の届く頃やな、
と思いながら、文章を読むと、
膝が崩れて、床に座り込んでしまった。

会社の先輩、田中昌宏さんの訃報だった。

33年前の6月、新入社員で入社して、制作に配属になったとき、
違う部の先輩に声かけられた。
同じ大学出身で唯一制作で働く田中さんだった。
それから、しばらくは、仕事こそ一緒にしてはいなかったが、
飲みに連れて行ってもらったり、
人を紹介してもらったりと、何かと気を使って頂いた。
いつもニコニコ笑顔が似合う人だけど、
ときどき辛辣なことを言う性格が楽しくて、
ワシも兄貴のように慕っていた。
アホな話も「アホやなあ」と笑いながら、喜んでくれる。
その笑顔が本当に素敵で、ワシもアホな失敗してしまうたび、
飲みに誘ったりしてた。

数年後、一緒に仕事をすることになった。
クライアントの事情を飲み込みつつ、
なんとか、面白い方向を探り、持っていく姿勢に、
ただ飲み仲間だった時とは違う仕事の先達としての側面を見て、
尊敬し直して、さらに慕う気持ちが強くなった。
当時は、年間100日以上、東京出張をするような激務だったが、
田中さんと過ごす時間が多いことで、乗り切れた気がする。
愚痴を言ったり、アホなことで笑い合ったり。
もちろん、酔っ払った回数に比例して、
何度も迷惑もかけた。

九州に転勤になっても、ときどき連絡頂いたり、
仕事のお手伝いもさせて頂いた。
ワシが九州に転勤してる間に田中さんは、東京に転勤されて、
ワシが大阪に戻ってからも、滅多に会えない関係になってしまったが、
会えば、昔と同じようにアホな話で盛り上がっていた。
アホなだけじゃなく、文学や音楽にも造詣が深く、
そういう話も聴かせてもらえる数少ない人のひとりでもあった。

3年前、定年で大阪に帰っていらっしゃったので、
大阪でお疲れ会兼歓迎会をした。
ワシにとっては歓迎会の意味合いの方が強かった。
これから、また何度でも飲める。
あの楽しい時間を味わえる。
実際、ワシは梅田までタクシーで10分かからないところに
住んでるので、「今何してる?」とお誘いを頂いて、
ホイホイお邪魔したりしてた。

しかし、その直後、やっと定年で、自由になった途端、
田中さんは、ご病気になられた。
これから、人生をゆっくり楽しもうと言うときに。
いろんなことに興味のある方だったので、
やりたいこともいっぱいあっただろうに。

病気になられてから田中さんは俳句を始められた。
元々言葉の感覚の鋭い人だったけど、
その俳句には、命を削りながら、
理不尽なことに怒りを覚えながら、
それを冷徹に見つめているような凄味があった。
ときどきブログに発表される句を楽しみにしてた。
今年の4月、その句を一冊のほんにまとめられた。
俳号「田中偏屈」で題名は「百偏句」、
あまりに田中さんらしくて、笑ってしまったが、
中には、その凄い俳句がずらりと並んでいる。
その上、続けて読むと、ときどき出る弱音、
滲み出る家族への愛情なども感じられて、
ブログで読んでいるときより、
さらに凄さを感じた。
俳句としても素晴らしいのだろうが、
俳句をやらないワシは、その嘘のない
真っ直ぐで、尚且つ心を打つ言葉にやられて、
「やっぱりあの人には敵わんなあ」と思った。

昨日、それを取り出して読んでいた。
それを作句してるときの田中さんの気持ちが
ズシンと響いて来て、何度も嗚咽した。

昨晩、田中さんのご家族が、田中さんのFacebookのアカウントで、
訃報を知らせていらっしゃった。

なんと言う見事な生き方だろう。

ワシのアホな投稿読んで、田中さんは、
「相変わらず、亮介はアホやなあ」と笑ってくれたのだろうか。
あの笑顔を見せてくれたのだろうか。

昨年、7月末、同僚二人と田中さんのご自宅にお見舞いに伺った。
アホな話ばかりして、何度もあの笑顔を見せて頂いた。
それが直接見る最期の笑顔になった。
その時は、ワシも腎癌の手術を控えた時期だったが、
アホな話に笑ってくれる田中さんを見て、嬉しくなり、
手術後のしんどい時期も「もっと辛い思いしてるのに、
あんな美しい笑顔を見せてくれる人がいる」という気持ちで、
乗り切れた気がする。
入院中、何度、田中さんの笑顔を思い出したことだろう。

今も、田中さんの顔、思い出そうとしても笑顔しか出てこない。
一緒に仕事してたので、厳しい顔の方が、時間的には
多く見てたかもしれないのに。

これからワシは、田中さんのいない時間を生きていく。
もうあの笑顔には会えない。
でも、ワシの中には、いつでもあの笑顔で「アホやなあ」
言うてくれる田中さんがいる。
いつか、もっとアホな話持って、そちらに行きますので、
またあの笑顔で、待っていてくださいね。

本当にお世話になりました。
ありがとうございます。
まだ言いたくない言葉ですが、
安らかにお眠りください。

最後に、長い間、ご自身も辛かったり、悲しかったりしただろうし、
理不尽な運命への怒りもあっただろうに、
田中さんを心身ともに支えた奥様と二人の息子さまに、
心からお疲れさまと言いたい。
素晴らしい家族に支えられて、
田中さんは、幸せだったと思います。
そして、素晴らしい方を家族に持ったご家族の皆様も
そのことを誇りに、お元気で生きて行ってください。
まだ、心が落ち着いてないので、
まとまってない言葉、失礼な言葉あるかもしれません。
申し訳ありませんが、ご容赦ください。
いつか、お会いして、田中さんのこと、
お話しできる日が来ればいいな、と思っております。
本当に三年余りの長い間、お疲れさまでした。

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