『ソロライブで知久さんが歌う「さよなら人類」「満月小唄」他』と知久寿焼ちんどん楽団ライブ@ムジカジャポニカ 。

これ、公開していいのかな?
『知久さんが「さよなら人類」やってるから観て!』
って、話ではないのです。

知久さんの音楽に対する、
ライブに対する真摯な姿勢、プロ意識が
すごくわかる動画(絵は動かないけど)なので、リンクしました。
ニコニコ動画なので、アカウント持ってない方は
観られないかもしれません。
ワシは、この動画が観たくて、ずっと昔に作った
アカウントを掘り起こしました。
持ってない方は、これだけのために
アカウント作ってもいい。
それくらい価値ある動画です。
ニコニコ動画なので、文字が鬱陶しいって方は、
絵は動きませんので、他の画面見ながら、聴いてください。

けど、これ、うちからすぐのとこでのライブなんよなあ!
なんで行かなかったんやろ。
ここにいたかったなあ!!

ソロライブで知久さんが歌う「さよなら人類」「満月小唄」他

というわけで、ここから今日のライブレポートです。

20時間ぶりのムジカで、
22時間ぶりくらいの知久寿焼ちんどん楽団のライブ。
つまり二日連続で来てるわけですわ。
追っかけか!ワシは。

昨日と同じく知久さんのソロから始まる。
昨日と演目は同じ感じなんで、
今日は曲ごとの印象は、あまり追いかけず、
ザクっと感じたこと中心で行きたいと思います。

おお!と言いつつ、大好きな曲
「月がみてたよ」をやってくれた!
黙っちゃおれん!
ああ!きれい!ああキュンと来る!
知久さんの歌は、こんなに孤独を感じるのに、
なんでこんなに優しい気持ちになるんやろ。
温かさを感じるんやろ。

おお!また昨日レポートにあげなかった
ユザーンさんの「きこえないうた」。
この曲聴いてるときに、さっきの答えが
ちょっとだけ見えた気がした。
人って、たぶん孤独が基本なのかな?と。
その基本を自覚しない優しさや温かさは、
見せかけとまでは言わないものの、
反射的、物理的なもので、
精神的なものにまでは至らないのかもしれない。
だから、知久さんの曲は、孤独だけど、
その向こうに温かさや優しさが見えてくるのかもしれない、
心に訴えかけてくるのかもしれない、
とそんなこと考えた。

休憩挟んで、知久寿焼ちんどん楽団は、
やはり「セシウムと少女」から。
「10万年経ったら僕ら 少し賢くなってるのかな?
10万年経っても僕ら 恥ずかしいままなのかな」。
そうだ。見えてるのに見ない、
わかろうとしないのは、
恥ずかしいことなのだ。
事実に目を背けるのは、
自分の良心に目を背けることなのだ。
嫌な事実でも、事実を見なくちゃいけないのだな。

昨日も聴いた「いちょうの木の下で」の歌詞が、
怒涛のようにワシに入り込んできた。

ちょっと長くなるけど、引用します。

「僕の好きな場所がまたひとつ消えちゃった
ねえ 僕の側で座っててね
黙っててね

僕らこの大きないちょうの樹の下で
もう何時間も喋らずにいた
いられた

たのしかったね
たのしすぎてなんだか寂しいかんじ
僕は大好きなんだ この世界が

ねえ 僕の側で座っててね
黙っててね

僕ら大きないちょうの樹の下で
もう何百年も手をつないでいた
気がした

たのしかったね
たのしすぎてなんだかどこだか心配
僕は大好きなんだこの世界が

大好きなんだこの世界が
大好きなんだこんな世界が」

変わること、変わらないこと、この世界を肯定すること、
だけどいつかはこの世界を去らなければならないこと。
知久さんの歌詞には、どの曲にも
さりげなく、そういう普遍的なテーマが散りばめられている。
そして、今の社会の納得できないことも、
どこか感じさせる歌詞でもある。

アンコールにまた「ハートランド」をやってくれた。
今日は、大工さんバージョンの音源をリンクしときます。

MCで教えてもらってビックリしたが、
この大工さんバージョンは、今回のメンバーでもある
関島岳郎さんのアレンジらしい。
そして、知久寿焼ちんどん楽団のアレンジも、
これがベースになってるらしい。
ワシが昨日この曲を聴いて、
オリジナルのオクノ修さんバージョンではなく、
大工哲弘さんバージョンを思い出したのは、
そういうことだったのかもしれない。
それにしても鍵盤ハーモニカ、チューバ、
ちんどん太鼓に三線、ウクレレ、って、編成、
素晴らしい!完璧やと思います。

アンコールのもう一曲は「もののけ番外地」だったので、
昨日この編成でやった曲は全部やってしまった。
ダブルアンコール、どうするんやろ?思ってたら、
本日2回目の「ひとだま音頭」(笑)
観客の合いの手がすごい!!
もう盆踊り会場のようだった。
もちろんワシも手を叩いた。
大声で歌った。

技術、歌うテーマ、声、歌う姿勢、、、
知久さんは、ワシの思うミュージシャンの理想形かもしれない、
という思いが、湧き上がってきた。
そして、その理想形かもしれない知久さんが、
何よりも、このバンドで、自分の歌ができることを
喜んでるように思えた。
ソロも、もちろん素晴らしいのだけど、
知久さんのすべての曲は、このバンドで演奏されるために
この世に生まれてきたのかもしれない、そんな気がした。

すべて。
そう、たまでやってた曲も含めすべて。

このバンドが、たまほど売れることは、まず考えられない。
でも、知久さんは、心から、このバンドを喜んでいる。
売れることより、ずっと大事なことを
知久さんは、このバンドに感じている。
そう思えて仕方なかった。

「二日連続、、さすがに飽きるかな?」と思ったけど、
また明日も、このバンドを聴きたい、と願っている。
そんな思いが充満して、
今にも、頭から、胸から、吹き出してきそうな気がしている。

アフターライブ編に続きます。

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