アンチ「絆」、「感謝」嫌悪。
確かに、その通りだと思う。
「絆」とか「感謝」は目の前にある困難の
とりあえずの対症療法にはなっても
根治療法にはなりえない。
それどころか、その輪から漏れてしまう人を、
見捨てる言葉として機能してしまった気がする。
そして根治療法に到る努力を閉ざす機能も
果たしてしまったのでは、ないだろうか。
ちなみにワシは震災以降、「絆」って言葉は、大嫌いになり、
「感謝」は、気持ちは大事だけど、
口にする言葉ではないような気持ちになりました。
「親に感謝」とか言う前に、肩揉めばええと思います。
誤解のないようにゆーとくと、ワシは「ありがとう」って言葉は好きですよ。
元々の言葉の成り立ちからして、いいなあ!と思います。
「滅多にない」みたいな言葉を感謝するとき、
相手に直接いう言葉として普遍化するのは、
素晴らしい言語感覚やと思います。
その気持ちは大切なんやけど「感謝」って客観的な言葉に置き換えて、
「感謝の気持ちを大切にしよう」とか言われると違和感を感じるんですわ。