日本の暮らしと美の粋、修学院離宮

借りてたDVD、修学院離宮を見る。

比叡山の山すそに水を引き、
堤防を作り、広大な池を作って、造営した日本の美意識の到達点のひとつ。

かと言って、それは、民衆から乖離したものではない。
庭園の一部として、棚田も作っていることに驚く。

離宮を造営したのは、後水尾帝。江戸幕府の発足時、
新制度に翻弄され、抵抗しつつ、文化を花開かせた天皇として、有名だ。

離宮には、当時興隆しつつあった華道(当時は立花)や、
三味線などの町衆の文化も取り入れられた。
もちろん町衆文化から武家に受け入れられた茶道や
茶道から派生する陶芸も王朝的昇華がなされて、
取り込まれている。

襖絵には、離宮の中で歌を詠む天皇、
三味線で船遊びする貴族、
池のほとりで宴会する町衆、
棚田の世話をするお百姓さんまで
描かれている。
つまり、この離宮は、当時、万人に解放されていたらしい。

武家が何重もの堀の向こうに、
何層もの城を作って、
人々を排除して、睥睨していた時代に、
天皇は、それに抗うように、
民衆の目線からの離宮を作り、
それを解放していたのだ。

天皇家は大陸から(多分半島から)農業をもたらした民族の長だ。
だから今でも
新嘗祭は天皇の宮中行事の中でも、最重要なのだ。

そういう農業や町衆への視線も感じさせた上で、
ワシらが今「日本的」と感じるあらゆる要素を包摂しているから、
修学院離宮は極めて、日本的な美意識の集大成なんだろう。

まだ戦国の煙が収まっていない時代に、
後水尾帝は、日本人の心の有り様、核になる部分を示されたのではないか。

と、思うと、今の時代の天皇家の有り様と繋がっているような気もしてきた。

まだ行ったことない修学院離宮。
事前申し込みで見れるらしいので、一度見てみたい。
どなたか、一緒にどーですか?

本気ですよ。

この4年ほど後、ネットで申し込んで、一人で行ってきました。
長閑で素晴らしい景色でした。
ほんまにお勧め。
ネットでの申し込みは簡単でしたので、皆さんぜひ!
(20200513記)

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