解決したかどうかを決めるのは、国ではない。一番苦しんでる人々だと思う。

終わったことにしようとする圧力。
それどころか自分の利益に利用しようとする権力。
どんなに蓋をしようとしても、事実は変わらない。
原因を取り除くこと、
一番苦しむ人びとのことを、
基本にしなければ、問題はきっと解決しない。

思い続けること、悩み続けること、疑問を持ち続けることが、
解決への唯一の手段なのかもしれない。

沙羅さん、大切で正直な思いを記してくれて
ありがとうございます。

でも、悩み続けるのは辛い。できれば解放されたい。
ワシは、そのときの魔法の言葉が「自己責任」なんちゃうか、
と思うことがあります。
「あの事件はもう、あいつの自己責任なんやから、
俺が考えなくてもいい」。

世の中のいろんなことを、
ちゃんと見ようとしたら、
沙羅さんの言うように、
理不尽なことだらけだと思う。

それを「自己責任」と名付けて、
自分とは関係ないとしてしまう。

恐ろしいくらい、
なにかが欠如している。

2年前、相模原の山百合園事件の、
一周年座り込みを、観に行った。

ただ観てるワシを見つけた金さんに、
「一緒に座りましょう」と言われ、
ワシも座ってみた。

座る側に回った途端、世の中は違って見えた。
何も言わずに通り過ぎていく人、
物見遊山で覗く人。
自分の存在をかけて、行動してる人たちのことが、
こんなにも「自分には関係ない」と
忘れ去られようとしてる。
その喪失感。

「理不尽だ!」と思ってても、
ワシは死にはしない。
だけど、障がい者と言うだけで、
殺されてしまった人が、いる。

このことを怒らなければ。
と思った。

全然まとまってないが、あのとき感じた気持ち、
絶対忘れません!

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