100分de名著「ペスト」カミュ。

2018年に放送された番組みたいやけど、
感染症の蔓延という今の状況と重なること多いからか、
4話、一挙に再放送。

前回も観てたはずやけど、その時はピンと来てなかったようで、
あまり記憶がない。
でも、今回は、ビンビンに共感した。

前半は、起こってること、人の行動、行政の姿勢、個人の感情が
あまりに今と重なることに驚き、
後半は、それを踏まえて、登場人物がどう生きるか、
カミュ自身の人生、考え方が共感できることに驚き、
けっこう夢中になって、一気に4話分観た。
元々カミュって、なんだか小難しそうで、食わず嫌いしてて、
多分読んだのは、教科書に載ってた「異邦人」の一説くらいやと思う。
それも最初の「ママン」でやられて、
「なんや、こいつ」と思ってた気がする。

番組サイト「ペスト」の回

まず、共感したのは、ペストが流行の兆しを見せたときの行政の態度、
「ペスト」ということを認めたくない。
もし違ったときの責任を取りたくない。
パニックになったとき、抑えるのが大変。
結局責任のたらい回しで後手後手になっていく。
どこかで「昨日大丈夫だったから、今日も大丈夫」みたいな意識があるんやろう。

しかし、とうとう緊急事態宣言が出て、町はロックアウトされる。
そのときの市民の気持ちは、今ワシの感じてることに、まんま重なる。

そこから、市民たちは、人によって、それぞれペストへの向き合い方を見せ始める。
宗教家は、神からの有罪宣告と受け止め、医師は、誠実さを持って
戦うしかないと決意し、冴えない小役人が救護隊の事務局として、
黙々と能力を発揮する。
しかし、大多数の市民は、絶望に慣れて、感情の起伏がなくなってしまう。
これは、ある意味、この状況で生きていくために、本能的に取った知恵かもしれないが、
そこから、一切動けなくなってしまうという絶望よりタチの悪いことかもしれない。

今の日本は、ここの入口に入りかけてる状況のような気がする。
ワシ自身、感染しないために毎日じっと家にいることに疑念を抱き、
「こんな毎日になんの意味があるのか」と思った時期があった。
今は、今だからこそできることを積極的に経験することに
向かおうと、覚悟を決めてはいるけど。

この辺りから物語は、それぞれの人間の内面に入っていく。
ペストは、ただの感染症ではなく人間が対峙すべき災厄、
もっと言えば、自分の中にある悪の象徴みたいな存在になっていく。
つまり、

のだ。

その中で、主人公(とおぼしき)医師と、救護活動を通じて、
親友になった謎の旅人から、発せられる言葉が響いた。

それに対する医師の言葉も、また同様に響く。
たぶん、二人の会話を通じてカミュは、自分の考えを語っているのだと思う。

ここが、ワシには一番響いたところかもしれない。
ワシも、一番弱い人、助けの必要な人の側に目が行く。
その人たちと手を携えて、共に生きてゆくことが大切だと思ってる。
しかし、それはヒロイズムだったり、聖者になりたいという気持ちからではない。
人間として、自分に恥ずべきことをしたくない。
せめて、自分にだけは誠実でありたい、と思う気持ちなのだと思ってる。
だから、それは褒められるようなことではなく、
ある意味、自分のワガママを通してるだけだ、ということにも気づいている。

話を物語に戻そう。
このあと、親友になった二人が、夜の海を泳ぐシーンがある。
泳ぐというか、浮かびながら、夜空を見つめ、
同じペースで岸に戻るだけなのだが、
それは、別の人格の人間が、心から分かり合えた美しいシーンだと思う。

ペストが納まりかけたところで、謎の旅人はペストで命を落とす。
そして、物語は終わる。

この作品の発表されたのは、1947年。
第二次世界大戦のかさぶたが、まだかたまりもしてない頃。
ペストは、大戦の比喩でもあり、まだ記憶に新しいところなので、
書きにくいところも、いろいろあっただろう。

最終回では、内田樹さんもゲストで出てきて、カミュの抱えるゆらぎについても説明してくれた。

カミュは、この医師の言葉を実践するかのように、
故国アルジェリアの独立を支持する立ち位置だったが、
独立勢力が爆破テロなどを繰り返すと積極的に賛意を示すことなく、
いろんな批判を浴びたらしい。
ここにも、ワシは共感した。
ワシもわりと政治について発言するし、反対の立場の人の意見を
「間違ってる」と思うことがあるが、
だからと言って、その人たちに暴力をふるいたい、殺したいとは決して思わない。
感情にまかせて、ヒステリックに罵りたくもない。
(ときどき、そういう気持ちになってしまうことが、ゼロではないが)
非暴力主義とか、偉そうなものではないが、
それをしてしまうと、相手がやってることと同じになってしまう。
相手と同じ次元に落ちてしまう、と、どこかで思ってることは確かである。
かと言って、それをやる人たちを否定しているわけでもない。
なにかを動かすためには、大きな力が必要だとは思う。
だけど、暴力を伴うその力に与したいとはおもわない。
その結果、カミュの言うように「歴史を作るのは、僕ではない」ことになり、
疎外感、孤独感に苛まれることになる。
けど、臆病者と罵られようと、その言葉を甘んじて受入れ、
自分にとって誠実なことを貫きたいと思っている。

カミュが、アルジェリア独立に対して態度をはっきりさせないと思われて、
受けたインタビューに答えた言葉にも共感した。

今まで、読まず嫌いしてたが、
どうやら、カミュときちんと向き合うべき時が、
来ているようだ。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


音楽

前の記事

明日なき世界。