ギリヤーク尼ヶ崎@湊川神社。

本日の第二現場は、神戸まで戻って、
湊川神社でギリヤーク尼ヶ崎さんの露天公演。
本当は5月3日の京都円山公園のに行きたかったんだが、
祝春一番の一番行きたい日だったので、こちらにしたのだった。

ギリヤークさん、ここ10年は行けてなかった。
テレビ番組のドキュメンタリーでは観ていたのだが、
生で観ると、改めて、お年を取られて、腰も曲がられて、
病気で手も終始震えていて、車椅子で登場されたときは、
本当に踊れるのかな?と少し心配になった。

しかし、始まると、その心配は失礼なものだと感じた。
まず目に力が宿った。
そして、全身が温まって行くように思えた。
踊りモードに入ったのだろうか。
実際には動きも往年に比べれば、もちろん相当衰えてて、
通りがかった人から観ればゆっくり動くおじいさんを、
全員で観ているだけに思えるかもしれない。
しかし、ギリヤークさんに踊る意思がある限り、
その動きは踊りなのだ。
ギリヤークさんがそう思って、筋肉を動かしていれば。
そしてなぜか、ただ通りがかっただけの人も、
子どもでさえ、一度ギリヤークさんに目を向けると、
離せなくなるみたいで、
どんどん観客の輪が膨らんでいく。

その踊りは、ギリヤークさんの身体能力が
衰えれば、衰えるほど、ギリヤークさんの
生き方そのものになって来ている気がする。
余分なことができなくなって行くほど、
「踊りたい」という純粋な意志だけが、
この動きのエネルギーであり、結果に繋がっている。
家族も踊りを止めろ、とは言えないのではないか、
ギリヤークさんにとって、踊ることと生きることは、
もう別のことではない。
踊ることで、体を酷使してるように見えるが、
踊りがなかったら、あの体は病に耐えられなかったのではないか。
こんなに踊ることと生きることが、一体になってる
現存する芸術家は、世界探してもギリヤークさんくらいしか、
いないかもしれないなあ、と思った。

走ると言うよりは歩いてる感じだが、
お得意の場外逃走も始まった。
昔は、円山公園で池に飛び込んだりもしていたなあ。
そして、石畳で水を被る。
胸に抱いた小さな遺影はお母さんだ。
この歳になった舞踊家が、公演の最後に叫ぶ言葉が、
「お母さ〜ん」!
なんと強い言葉であることか。
世界最強の詩は、やはり「お母さん」なんじゃないか、と思った。
踊りを観て涙が出たことって、今まであったのだろうか。

さっき明石で会った熊ちゃんも、少し覗きに来た。
また盗み撮りされた(笑)

会場の向かい側くらいには、未来ちゃん夫妻がいた。
ちらっと見えたけど、中村さんもいたようだ。
観客が多いからか、Facebookさん、
11人も自動タグ付けしたが、
一人も合ってなかった。

ギリヤークさん、次はいつ観られるのか分からないけど、
これからはできるだけ公演観に行くことにした。
きっと一回一回、どんどん研ぎ澄まされて行くから。

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