人生、恥だらけ。だけど恥の数だけ、おもしろい。(わりとマジ)

罹りたくないのは、もちろんだけど、それ以上にうつしたくないので、
罹らないコツ、うつさないコツを、知り合いの医療関係者に聞いてる。
できるだけ、それを実践してる。

その人は、いつもどこかにエクスキューズをつける。
「これは僕のやり方で、それが絶対正しいとは言い切れません」。
ワシは、そこに誠実さを感じてる。
そらそうだよなあ。これは人類が体験した初めてのことなんだもんなあ。
「こうするのがベター」はあっても、
「これがベスト。こうしてたら間違いなし」なんて、誰も言い切れないよなあ。
そのエクスキューズに、その人の嘘のなさを感じる。

またその人は言う。
「こうしてこうした方が確率は下げられます。
だから僕は、やってますけど、こうしてたら絶対大丈夫ってわけではないです。」
「感染症予防って、刺身で当たらないのと似ていて、滑りをとる、
内臓に当たった包丁は洗う、身を切る包丁は別にする、薬味を使うなど、
細かいことの積み重ねなんです。 敵の性質に合わせて工夫すると、
無駄なことはありません。」
なるほど。
だけど、そこまでやっても絶対に罹らないという保証はない。

アホみたいに、毎日飲んで騒いで、ウイルス撒き散らしてても、
罹ったことも知らず、治っていく人もおるし、
すげえ、注意してたのに、食糧切れて行ったコンビニの
お釣りでもらった一円玉、直接財布に入れてもらうつもりが、
ふと店員さんの手元が狂って、カウンターに落ちたのを、
反射的に拾って、財布に入れた。
その一瞬で、手にウイルスがついて、
その帰り道、花粉症で目が痒くなって、
注意してたのに、ついつい目を指でかいてしまって、それで
感染した人もいるかもしれない。
限りなく理不尽だ。

しかし、病気ってのは、いつも理不尽なもんかもしれん。
ここまでやったら、感染!みたいな、
絶対的な評価基準があって、誰かが判断して病気になるわけではない。
ずっとタバコ吸ってたのに、100歳超えても元気で、最後は老衰で亡くなる人、
タバコなんて、見るのも嫌なのに、50過ぎで肺癌で亡くなる人。
病気に理不尽を言い出したら、キリがないだろう。

なので、今回の騒動の理不尽さには、できるだけ怒らないでおこうと思ってる。
だけど、その「怒らない」は、天災の部分だけだ。

「天災」としての騒動の理不尽さは、誰に怒っても仕方ない。
けど「人災」としての理不尽には、
全精力を傾けて、怒っていくと覚悟してるのだ。

おかしいと思うことは、誰に何と言われようと、おかしい!と発言する。
人の命より、利権やメンツを重んじるような行為には、
躊躇なく「ノー」と言う。

それは、現政権であろうとなかろうと、関係ないつもりなのだが、
現政権がウヨ臭はなはだしくて、それに対して「ノー」と言うことで、
左翼とかリベラルとか言われてしまうこともある。
それは凄く心外なんよなあ。
ワシは、誰かの意見を信奉して、その人の言うことなら、
なんでもOKとか思ったことはなくて、
どんなことでも、ひとつひとつ、わしにとっての正解を考えてるだけやと思ってる。

現政権が「正しい!」と思うことをやってくれるなら、
「じゃあ現政権で!」と言うことも厭わないやろう(まあ、ありえないやろうけど)

ずっと昔から、こんなことを毎日考えていた。
大学生の頃、考え過ぎて、訳わからなくなって、一度選挙に行かなかったことがあった。
たった一度だけだったのに、
それがおかんにバレて、こっぴどく叱られたことを覚えている。
多分、おかんにはっきり叱られた、今までで最後のことだろう。

その時は「入れたい政党がなかったから」って言い訳した記憶があるが、
そんなことは理由にならないな、と今では思っている。
今も、入れたい政党がない選挙は山ほどある。
だけど、そこで投票しないことは、入れたくない政党を支援することに
はっきり繋がる。そしてそれだけではない。
民主主義、そのものを後退させてしまう。

日本には、まだ本物の民主主義は育ってないと思う。
民主主義の最大の抵抗勢力は、同調圧力ではないか。
ヨーロッパにも、同調圧力はある。
ヨーロッパ諸国は、その同調圧力と戦いながら、民主主義を育ててきた。
我が国は、戦後、アメリカの庇護下、自分たちを敗戦に追い込んだ
世界一かもしれん同調圧力と向かい合うこともなく、
この未曾有の事態を迎えてしまった。
少し、海を挟んで、影響が少なかった、
島国の特徴なのだろう。

同調圧力は、言い方を変えれば、「思考停止」とか
「自分で考えないこと」なのだろうと思う。

かつてのワシがそうだったように、考えるのがめんどくさくなって放棄する、
もう鼻っから考えるのが嫌だ、
そんな時は、考えなくて、誰かのもっともらしい意見についていく方が、
よっぽど楽だ。
ワシもそうしたいと思った時期もあった。

けど、それでは、いくら楽でも、面白くないのである。
結局、その考え方は、誰かの後ろに立って、そいつの背中から、
世界をチラ見してるようなことなんだろう。
自分の人生は、自分が一番前に立ってなきゃ、面白くないのである。

苦労して、七転八起して、泣き叫んで、へばりついて、
恥かいて、消え入りたくなって、実際消えて行ったつもりなのに、
誰かに見つかって、もう一回やり直さざるをえなくなって、
恥ずかしくて恥ずかしくて、たまらなくなっても、
逃げ出すところはどこにもなくて、
死なないためには、生きていくしかない。

そんなことを、受け入れて行くのが、人生なんやと思う。
ちゃんと、人生を送るのは、並大抵のことではない。
だけど、それを乗り越えて行くのが、
何より面白いことだとも思うのだ。

こんな一年前には想像だにしなかった日々。
亡くなった方々には申し訳ないが、
それを、自分で苦労して乗り越えて行くことが、
たまたまこの時代に生を受けた生物としての楽しみだと
思って、毎日を過ごしています。
これからも、そうして行こうと思ってます。

※この騒動が起こる前から、ずっと思ってたんやけど、
「うつる」って言葉を、的確に表す漢字がないものか?
「移る」とか「写る」とかいろんな人が、いろんな言い方をしてるけど、
全部、ニュアンスとして違う気がしてる。
ワシは今「感染る」と表記してて、一番気持ちに近いと思ってるけど、
なんだか「本気」と書いて「マジ」みたいな、違和感がある。
ピタってくる、表現、欲しいです。

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人生、恥だらけ。だけど恥の数だけ、おもしろい。(わりとマジ)” に対して2件のコメントがあります。

  1. かな より:

    こんな状況になり辛いなぁ、嫌だなぁ、だけの受け取り方はどうなんだろう?と思って来ました。ヒネモスさんの文章を拝見して「コレだ!」と胸にドスンと来た感じです。
    この時代に生きているのは巡り合わせという運命で、私もヒネモスさんのように困難を面白い、次のステップへの機会なんだ、と捉えて乗り越えて行きたい、と思っています。
    【自分の人生は、自分が一番前に立ってなきゃ、面白くないのである。】
    良い言葉ですね、日常に何だか面倒に感じる事が増えていましたがこうでなくては!
    楽しく読めて、でもいつも何か新しい見方を教えて下さるヒネモスさんのブログを楽しみにしています。

    1. hashimoto より:

      ありがとうございます。
      ワシも毎日、つまらないことにも、うじうじ悩みながら、
      ここに書いたようなことを、お腹の一番底に敷ういて、
      覚悟決めて、生きてます。

      こんな考えられないような困難に襲われて、
      ただ過ぎるのを待つだけ、
      ここから何も得ない、
      なんてこと、耐えられないので、
      なにか、この時代に生まれたからこそ、
      得られるものを得たいと思います。

      でも、あんまり頑張りすぎたら、
      きっと糸が切れちゃうので、
      どこかのんびりするの忘れず、
      「お気楽引きこもり」を目指してます。

      これからもよろしくお願いします!

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