怒りに震える。

沖縄の認知的不協和


経済と国防だけで理解しようとすると、
沖縄も、こんな無惨な言われ方に甘んじなければ、いけないのか。
あほか。
こんなもん、500年前、ネイティブアメリカンを征服した理屈と変わらん。

金があれば、幸せになれる、国が富めば、みんなが幸せになれる。
って理屈は20世紀に置いてきたはずではないのか。

「金やモノではない」という20世紀以上前の釈迦の思想に立ち帰るべきではないか!

人間を「多数決の一票」「税金を払う駒」としか考えないと、
こういう「合理的」な結論に至る。
沖縄の犯した人類史上最悪の税制のひとつ「人頭税」と同じような理屈だ。
百歩譲るとして、では、なぜ、そういう認知的不協和が、
日本の他の地域には起こらず、沖縄に起こるのか、
ということを、この人は、考えたことがあるのだろうか。
使い古された自虐史観とかではなく、
沖縄の「現在」を見なくてはいけない。

「国益」は、一人一人の「幸福」の上に成り立つ、のではないか。
基本的人権が「国益」の犠牲になることを是認するなら、
日本は、大戦から、何も学んでないのではないだろうか。


と羽毛布団と暖房に囲まれながら、ワシは強く思った。

この投稿に活発なリアクションがあって、
嬉しかったです。
(20230122記)

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