追悼、同級生のマサル。

同級生がひとり、逝ってしまった。
12クラスもあったワシの中学でも
学年の、いや学校の中心的存在だったようなやつだ。
正確には26日に逝ったそうだ。
ワシは迂闊にも、Facebookの同窓会コミュに
友だちが載せてくれてたその情報を見逃してて、
気づいたら、通夜も葬式も終わってたのだった。
まったく、ワシと言うヤツは。

せめて一人で悼もうと、今晩、自分がその日、
何をしてたかを思い出していた。
丁度、その日は、本を読んでいた。
「死というのは、人間という窮屈な袋から解放されること」
みたいなことが書いてあり、
この歌を思い出していたのだった。

ワシもこの歌をそんな風に解釈していたので、
その一節に共感したのだった。
人生の先に、そんな解放が待っている。
そう考えると、悩みや苦しみは解放の喜びを大きくするための
関門のようにも、思えて来る。
死は必ずしも、恐怖ではない、とも思えて来る。

だけど、早過ぎるよ。マサル。
まだまだ、体験してない悩みや苦しみもあったんじゃないか。
でも、同窓生の話によると、相当濃密な人生を
おくって来たようだから、君の場合は、
ワシがあと、何年生きても追っ付かないくらいの
いろんなことを体験してきてたのかもしれんね。

マサル、安らかになんて、眠らなくていい。
辿り着いてしまった自由を思う存分、楽しんで下さい。

もう一曲、同じような考えが底に流れてると思う、
ワシの大好きな曲をおくります。
ワシが棺桶に入れてもらおうと思ってる歌だよ。
君は、この歌の「いつか」に辿り着いたんだろうね。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


食べもん

次の記事

で、でかい。