実家の風呂で、思い出すこと。

久しぶりに実家に帰り風呂に入る。
実家はワシが出てから何度か改築してて、
今の風呂のある場所は、かつて親父の書庫、机のあった場所だ。
ワシはその机を借りて卒論を書いた。
それを思い出してると、
30年前書いた卒論の論旨が頭に降りてきた。
地場や磁力ってあるんやなあ。
「東大寺の寺内制度の成立と展開」。
今や何の魅力も感じないが、
確かそんなテーマで、
書いてる時は夢中になってた。
けど、書き終わったとき、
「こんなこと一生やるん、ややなー」と思って、
卒論を出さず、留年して、次の年の就職を目指した。

その大学5年のとき、
親父が死んだ。
親父は大学の先生だったので、
もしかしたらワシにも学究職についてほしいと思ってたのかもしれない。
最後の最後で、親父の期待を裏切ったかもしれんなーとは思うが、
絶対向いてないことには自信があるんで、
嘘ついても仕方なかろーとも思う。

とにかくあれから丸30年、
ワシは親父を亡くした当時のおかんの年に追いついてしまった。
就職留年のワシと、大学に入ったばかりの弟と、
第二子を身ごもった姉とを抱え、
まだ働いていた当時のおかんを想像すると、
あまりに抱えてるもんが大きすぎて、
「ワシにはでけん!」と投げ出すことしか、できない。

おかん、ありがとう、と改めて思う実家の夜。

親父の棺桶にワシがコソッと入れたのは、
今や風呂桶になったあの場所にあった机で書いた
卒論の写しであった。
おとんにもありがとう。

ゆっくり二人で飲んだのは、一度だけやったけど、
あの晩のことは、今でもワシの支えになってます。

コメント欄、嬉しい言葉で賑わいました。
ありがとうございます。
(20230811記)

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