親父の三十三回忌。

今日は親父の三十三回忌。
昨日の松本雄吉さんの一周忌イベントと言い、
一昨日の沖縄慰霊の日といい、
この週末は故人を偲ぶ三日間だった。
とは言っても、昨日のような派手なイベントはもちろんなく、
おかん、姉一家、弟一家と、
お寺さんでお経を読んでもらい、墓参りして、
本家にご挨拶して、食事して帰って来た。

三十二年前のあの頃、ワシは大学生で就職活動してる頃だった。
親父と同じ大学、学部に進んだが、
同じ学者になるほど学問に情熱のないことに気づいた頃だった。
そのことを親父はどう思ってたのかなあ。
ワシは今が正解かどうかは別にして、
少なくとも学者の道に進まなかったのは
正解だと思っている。
亡くなったとき、親父は58歳の誕生日を迎えて10日ほどだった。
ワシは今、55歳の誕生日を迎えて6日。
あと3年で親父に追いつくとか、
目標としても馬鹿馬鹿しいので考えないが、
ワシの年には、仕事も円熟期に入り、
もう1番目の子どもには孫ができてて、
2番目の子どもも大学生になってたんだな、
と思うと、あまりの自分の成せてなさに
笑うしか無くなる。

そんなこと考えてる間に長いお経は終わった。
うちの墓は、京都下京の小さな寺にある。
寺は小さいが、安部晴明の嫡流である土御門家の菩提寺であったため、
庭には東西南北を示す占星術に使われたという伝承の残る石などがあったりする。

うちの先祖はその安倍家に仕えていたらしく、
本堂の右には安倍家・土御門家の位牌がまとめられてあり、
左には橋本家の位牌が集まっている。
墓もほとんどが安倍・土御門のものか、橋本のものである。
おしょさんに「あんたの本家の蔵を調べてみなさい。
参考になる資料が山ほどあるはずやで」と言われる。
坊主は檀家の事情に、檀家の家族より
詳しかったりするものなのだなあ。
万が一日本史の学者になってたら、
飛びついてたろうな。
誰の手もついてない文献資料、
文献史学の学者には垂涎ものなのだろう。

その本家は、寺から歩いて30秒のとこにあり、
確かに立派な蔵が残っている。
子どもの頃は、近寄るのも怖れてた場所だった。
本家は親父の兄一家が住んでるのだが、
伯父は現在介護施設におり、
従姉妹は近所にそれぞれ家を構えている。
つまり、伯母が一人で住んでるのだが、
いつ行っても綺麗にしてて、
(伯母が言うには)その辺で拾って来た藁と
鳥の置物、瓢箪型の陶器で、鳥の巣になぞらえた飾りなど玄関に置いたりして、
昭和一桁の京女の気概や美意識を感じて背筋が伸びるのであった。
昔、この玄関や敷石や縁側を「夏の名物」というテーマで
撮影したことがあったが、
仕事場で人に見せる顔と、親戚の前での顔の
ギャップに我ながら往生したことがある。

場所を移し、京都駅、ホテルグランビアの
イタリアン&フレンチのレストラン。
大きな窓から、東福寺や伏見桃山城が見える。
一族誰にとっても場違いな場所だと思うのだが、
こういうとき女性に任すとだいたいこんな感じのとこになる。
メニュー見て、オレンジジュースが1200円と知った瞬間、
向かいに座ってた成人した甥っ子が、
「天満やったらベロベロなれる」と言った。
その瞬間、「ああワシの甥っ子や」と思った。
親父も学者のくせに、酒には目がなかった。
血の繋がりって、こういうとこに出るんやなあ。

お父さん、あなたが会えなかったあなたの孫も、
しっかりあなたの血を受け継いでますよ。

家に帰ってひとりになって、頂き物のお酒で親父に献杯。
「今親父が生きてたら」と想像すると、
怒涛の勢いで怒られてる気分になる。

40分後。
「そろそろやめとけ」
言われたんで、やめて、風呂入って寝ますわ。
3つしか違わんのに、偉そうやな(笑)
冗談です。
すんまへん!
ほんまに思ってるのは「いっつもゆーてくれたらえーのになー。」です

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