彼はワシなのかもしれない。映画「さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について」。
ナチスの足音迫る1930年代のベルリンで、進むべき道に悩み、恋に悩む、
モラトリアムな青年の映画
「さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について」を観てきた。
少し長めの映画だったけど、脚本もしっかりしてるし、
役者も演出もハマってたようで、退屈することなく、
最後までドキドキしながら観られた。
E・ケストナーの原作は、読んだことないのだが、
ちょっと読んでみたくなった。
物語は90年前のベルリンだが、40年前の京都で過ごしていたワシに重なるところが多く、
やり場のない気持ちが、ビシビシと伝わってきた。
その気持ちは、その時は苦味しかなかったのだが、
今、その時を思うと、少し懐かしくもあるのだった。
純粋で真っ直ぐで、だからこそ捻くれていて、
いろんなものにぶつかって、
近くの人の幸福が嬉しい気持ちもあるのに、
自分だけが、出口のない袋小路にいる気持ちになって、
素直に喜べなかったり。
そこにナチスの足音が聞こえてくる。
世の中はなにか陰鬱な空気に覆われ、
その分、人は享楽的になるのか、
夜の繁華街には退廃的で、毒々しい悪の華が咲き乱れてる。
そのことが直接的に物語に関わるわけではないのだが、
なにか、振幅をデカくする作用が働いてる気がした。
ワシは、今でこそ、あの苦さを少し懐かしがるような気持ちになれているのだが、
もし、あの頃、その足音を聞いていたら、
どうなっていたのだろう、と想像すると、
少し、背中がゾワっとするのであった。