いじめの入れ子構造。

美里中学のいじめの件について、動画を載せたり、
加害者の名前を喧伝する投稿をいくつか見た。

ほとんどが「いじめ」と断定して、
中には「刑事事件として扱うべき」「少年法なんていらない」
という極論も見られた。
しかし、本当に大事なのは、この当事者同士が立ち直り、
健全に成長していくことだろう。

学校側の意見を鵜呑みにするのは危険かもしれないが、
大ごとにすべきではないという気もする。

怖いのは、これを「いじめ」と断定して、拡散していくこと自体が、
この当事者たちを追いつめる「いじめ」的行為に
なっているのではないだろうか。
言わば、いじめが入れ子構造のようになっている気がする。

と、この件を話題にすること自体が拡散になっていて、心苦しくもあるのだが、
こういう事件が起こるたび、
保身のために「いじめじゃない」と言い張る関係者(がいたとして)と同様、
関係者でないのに、詳しい状況もわからないうちから、
学校側を「保身を図り、事件を矮小化する人たち」と決めて、
「いじめだ!」「刑事罰だ!」「少年法廃止だ!」とネットで叫ぶことも、
思考停止状態で、恐ろしいことだと危惧してしまうのだ。

 ※なので、直接リンクを貼るのは、止めておきます。
興味のある方は、これ
「沖縄・中学生を一方的に暴行する動画拡散 校長が詳しい事情と心境を吐露、市教委は沖縄タイムスの報道を否定」というニュースを
クリックしてみてください。

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