「津軽のカマリ」@釜晴れ。

今日はお昼から西成の釜晴れで、
大西 功一監督の映画「津軽のカマリ」の
上映会に行って来た。

宮古の神に捧げる歌の映画を撮った
「スケッチ・オブ・ミャーク」で
感動して繋がった大西監督と初めてお会いできた。
しかも今回は、チーズ魂の慎ちゃんの仕込みだ。
数年ぶりに慎ちゃんと会えるのも楽しみだった。

寒々しい風景が続くので、
そぐわない表現かもしれないが、
匂い立つように津軽を感じる映画だった。
ワシはこの映画、去年神戸の元町映画館で観て以来、
2回目なのだが、1回目より2回目の方が、
さらに濃密な匂いを感じた。
それもそのはず「カマリ」とは津軽弁で
「匂い」とか「気配」とかを表す言葉らしい。
説明を聞いてると、ポルトガルの
サウダージが一番近い気がしたが、
とにかくそんな言葉らしい。

内容は、伝説の津軽三味線の奏者、
盲目の高橋竹山さんを軸にした
ドキュメンタリー映画なのだが、
これをドキュメンタリー映画と言うのは、
少し違う気がした。
ヴィジュアルも、音の構成も、
すごくリズム感やテンポを大切にして繋いでいる。
言葉で何かを伝えるのではなく、
時間という軸を使って、絵と音で
何か言葉では伝わらないものを伝えようとしている。
そういう意味では、映画全体が音楽や詩に近いもの、
という気がした。
もちろん、津軽の民謡が、
流れの中で何曲も披露されるのだが、
音楽とするなら、映画全体で一曲の音楽だと思った。

出演してるのは、もちろん津軽三味線の演者が中心だが、
その音楽は、厳しい環境の中で生きる
津軽の名もなき人々の慟哭だったのかもしれない。
スケッチ・オブ・ミャークでは、苦しむ人々が
救いを求めて神さまと繋がるために「歌」という存在があったが、
津軽では、特に高橋竹山さんの場合は
もっと直接的に、盲目の人が食糧やお金を手に入れるために、
「歌」が存在していた。
役割は、少し異なるかもしれないが、
歌に救いを求める、それがないと生きていけない、
という意味では共通している。
そして、民衆から生まれた歌には、
必ず民衆の魂が宿るのだろう。
その魂を描き続ける大西監督は、他にはいない、
素晴らしい表現者だと思った。

終演後、大西監督や慎ちゃん、
観客で来てたチンドン通信社のジャージ川口さん、
リハから帰ってきたカオリーニョ藤原さん、
もちろん釜晴れの早苗ちゃんも含め、
ゆっくりいろんな話ができた。
大西さんとは初めて会うし、
慎ちゃんと釜晴れで会うのも初めてやけど、
共通の友人も多く、
音楽のこと、沖縄のこと、いろんなことを
同じように感じて話せるのが、
めっちゃ楽しくて、
次の用事をブッチして、
夜の部の上映もいてようか、
と思ってしまった。

大西監督は、現在大上映ツアー中。
明日は淡路島、それから四国、山陽路経由で九州に行き、
屋久島や石垣にも足を伸ばし、
また九州戻って、山陰路経由で関西から東に向かうらしい。

是非とも、いろんな人に、津軽を感じて欲しい。
映画を観て欲しいと思う。

次の用事に向かうため、四つ橋線の花園町駅に向かう途中、
南海の高架沿い、なんかキュンと来る夕焼けが広がってて、
映画の続き観てるような気分になりました。

※そうそう、エンドクレジットに沖縄の野田さんや、
タートルアイランドの愛樹さんの名前あって、
ちょっと嬉しくなりました。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


トホホ

前の記事

スタートか。