CD「ぞめき」。

久保田麻琴さんが録音している阿波踊り「ぞめき」の参(zomeki vol.3)が
素晴らしい。
本場徳島、メロディ楽器のない、太鼓と鉦だけの一拍子が、
ぞわぞわと本能に訴え掛ける。

ドラムンベースにも思える、体の一番奥から湧き出てくるような太鼓の
ど太い音に、かき乱すような鉦が絡む。
それ以外には、ときどき入る掛け声のみ、というのが基本構成。
基本的には人間の感情は、この振幅の中ですべて表現できるんじゃないか、
と思わされるほど、単純にして感情豊かな音楽だ。

歌詞など当然ないインスト、しかもメロディもないリズムだけの
音楽なのに、おもろい。
退屈する暇が全く訪れない。
常に常に、引き込まれ続ける。
逆に、聴き続けていたら、呼吸困難になるんじゃないか、
そんな気さえする。
ちょっと癖になりそうな、すごい音だ。

日本の伝統といわれる部分から、新しく今の時代に合う音楽が
生まれていることが嬉しい。
日本の再生とは、こういうこと抜きには存在しないような気がする。

この中では笛入りで異彩を放ってるけど、
実は一番阿波踊りの基本に近い「眉月連」も、いい。

阿波踊りの音の本質を熟知して、エッセンスを絞り出したような音だ。
「どちらが正しい」訳でなく、それぞれが「これが自分たちの音だ」
と思えるものを追求する、
お互い、自分たちの音だ、と思ってるのをやってるので、
相手を非難する必要も、自分たちの音をどこかと比べる必要もない。

そういう多様性を認められるのが、阿波踊りのいいところのひとつ、
だと思うのだが、どうなんだろう。

ちなみに「ぞめき」とは辞書で調べると「浮かれ騒ぐこと」だったり、
「冷やかし」だったりする。
漢字で書くと「騒き」らしい。
でも、そういう辞書的な意味と、ワシらが受け取る意味とは
かなり違う気がする。

あの祭特有の「何かが始まる」ような気がする、ぞわぞわ感、
祭の最中、誰もがテンション高くなって「この時を逃してはいけない!」と
思ってしまう「このとき」感、
そんなのが、ワシ的には「ぞめき」だと感じている。

だから博多山笠の「のぼせ」とは少し違うのかもしれない。
「のぼせ」てる人間の周りには、たくさん「ぞめき」を
感じてるヤツがいる。
当事者=のぼせ、だとしたら、当事者+楽しみにしてる人、
が感じるのが、「ぞめき」という気がする。

まあ、これはワシの感想で、徳島人に聞いたら、
「ちゃうわ!」と一笑されるかもしれんのだが。

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