ドラマ「めんたいぴりり」。

二日かけて「めんたいぴりり」を、
頭から最後まで見直した。(レンタルですが…)

ひとことで言うと「愛おしい」。
登場人物が、博多の町が、釜山の町が、
若いころの思い出が、年齢を経た夫婦が、
何もかもが、愛おしい。

ある意味、笑いあり、涙ありの、いわゆる人情劇なんだけど、
今の時代にこんなに真っ直ぐに、てらいなく人情劇をやるのが、凄いと思う。
斜めに見る、ひねって見ることが、なんとなく「かっこいい」、「今風」って
なってしまったのは、いつからなんだろう。
元々の人間って、これくらい真っ直ぐで、
すぐ笑って、すぐ泣くんじゃなかったのか。

ずっと見ていて思い出したのは、藤山寛美さんの松竹新喜劇だった。
あほなくらいストレートな男が、そのストレートさで人を巻き込んで、
迷惑をかけるのだが、なぜか憎めない。
だから彼の周りの人間も、洗われたように、素直な心根をぶつけてくる。

こんな人情劇は、元々、大阪の得意技だったのではないか。
花登筺先生の得意技だったのではないか。
大阪が斜めに見たり、ひねって見せる方に傾斜してる隙に、
博多に鮮やかに持っていかれてしまった。

それにしても、富田靖子、博多華丸、二人の主人公の演技が素晴らしい。
ストーリーやネタではなく、表情ひとつで、笑いを持っていく、涙を誘う、
すべてを悟らせる。
子役時代の二人も、わき役も、一人一人が愛おしくなるほど、
役にぴったりとはまっている。
よくぞ、こんなキャスティングができたものだ。

映像も、さすが、江口カンさん、細かいところまで計算された
いろいろに練られた映像なのに、それを感じさせず、
生理的に気持よく見ていられる。
すごく好きで、巻き戻してみたのは、
華丸さんが朝風呂に頭をどっぷりつけて、
上げた頭を顔から手でぬぐうシーン。
短い髪から、飛び散った水滴が朝の光に照らされ、
水滴の輪が出来る。
これが、この男のさわやかで気持のいい生き方、
そしてキーのひとつになってる山笠で跳ねる水滴も感じさせて、
「博多の粋な男」を象徴しているように、感じられた。

華丸大吉は、こないだの「THE MANZAI」でも、優勝したが、
その優勝の影には、このドラマで、「博多」という町に根ざすことに、
何の疑問もなくなった、という下地があったんではないだろうか。
あの漫才も、ほんまにおもろかったし、
久しぶりに本物を見た、という気がして、嬉しくもあった。
(大吉さんもトリックスターな役でドラマに出てきて、
ピリリと全体に味付けをしてます。)

華丸大吉は、バラエティー中心のお笑いの中で、
久しぶりに出てきた、タレントではなく、芸人と呼ぶべきコンビかもしれない。
いや、ワシの中では「喜劇人」という呼び方が一番しっくりくるな。

こんな動きが博多から出てきたことが、嬉しくもあり、
大阪人としては、悔しくもある。

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