相模原事件に思う。

本当にあの事件にはショックを受けた。

ワシが世の中に、障害を持って生まれてくる人がいると知ったのは、
中学一年のときだった。
その頃、地元枚方の中学では、
自閉症の障害を持つ方にも、同じ教育を、という方針だったのか、
ワシのクラスにも障害を持つ同級生がいて、
その人のケアのため、担任の先生が二人いた。
ワシが生まれて初めて接した自閉症の人だった。

ホント申し訳ないけど、最初は理解できなくて、怖いと思ってた。
でも、その彼をずっと見てるうちに、
彼個人の魅力に気がついて来た。
彼は、好き嫌いをはっきり表現する裏表のない人間だった。
妙に計算高くて、好き嫌いより、損得を優先する、
自分の薄汚さを嫌悪していた橋本少年は、
彼のまっすぐさに、ある種、憧れを抱いた。

もしかしたら、自閉症の彼のためというより、
ワシらのための教育だったのかもしれない、あの枚方四中の教育方針に、
今は感謝している。

あの方針があったから、
今、ワシは、どんな障害を持ってる人でも、
どんな人種でも、どんな性癖でも、
人として受け入れようと思うようになれた。

どっちかと言うと心の狭い方なんで、
相性悪くて、受け入れ難い人もいるけど、
その受け入れづらい根拠を障害や人種に求めることは、ない。
そういうことは、人間として恥ずべきことだと思っている。

と言いながら、弱っちいやつなんで、いろいろ揺らぐ。
差別的な考え方をすれば、一時的にはスッとできることも知っている。
そして、それが、一時的なもんで、
回り回って、自分の心を傷つけることも知っている。

そして、自分自身、いつも世の中に対する
居心地の悪さを感じていて、
それを障害と言うのなら、間違いなく、
ワシ自身、障害を持つ人間なんだろうと思っている。

恐ろしいが、人間は、
別の人間を見下すことで、
自分のコンプレックスを薄めようとする衝動に、
かられることがある。
間違いなく、薄汚いが、そういう瞬間がワシにもある。
そのことに揺らぎ、ますます自分を嫌悪する。

だから、揺らぎそうなときには、
この歌を聴く。
今、一番ワシに必要なのは、この歌だと思う。

あんな事件がおきてしまったこと、
その事件を肯定するやつがいること、
日本に、世界に、社会に、絶望したくなるとき、
もう死んだらもさんが、
ワシに「お前次第で、希望は作れるんだよ」と、
この歌で言ってくれる。

ああ、らもさんのいる世界に生まれて、
本当に良かった。

ちなみにこの事件の起こった日は、らもさんの命日、7月26日。
ワシは、この事件を思い出すとき、
必ずらもさんのこの歌を思い出すだろう。

この文章をFacebookに上げた時のリアクションで、
いろんなこと気付かされたので、リンクしておきます。
(20220731記)

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