再会の奈良(ワシ版)。

映画の話ではありません。
本日、奈良に行って、いろいろ再会してきました。
その報告です。

まずは、奈良国立博物館で「国宝 聖林寺十一面観音」に再会。

歴史好き、仏像好きだった、橋本少年が、
小学生の頃、惚れ込んでいた仏像のひとつで、
おやじに連れていってもらって、観た記憶がある。
小学生以来ということは、50年近くぶりの再会であった。

この奈良時代の仏像、フェノロサを驚かしただけあって、
確かに均整が取れてて、美しい。
頭の中のイメージではもう少し女性的な感じだったが、
実際お会いすると、上半身はけっこう肉厚で逞しい。
けど、指先がすごく優美で、
胸元から腰、足にかけてのラインは、柔らかくて、流れるようだ。
けっこうお背の高い仏さんなので、
実際は、写真より見上げる感じで、観ていた。
何か、観音さまが、下を見て、ワシと目を合わせてくれてるような気持ちになった。

しかし、この仏像の何が橋本少年の心を撃ち抜いたのかは、
ついに思い出せなかった。

今日は、人がそれほど多くなくて、
ワシが観音さまの前に立ちつくしてる時、
ふと気がつくと、周りに誰もいなかった。
博物館の方も、少し後ろに立っておられた。
ということは千年を超える、
この美しい観音さんの歴史の中で、
一番近くにいるのが、ワシ、というときが一瞬でもあった、
ということになるのだな。
誰も知らなくても、この事実は、二度と消えることはない。
そう思うと、自然と手を合わせていた。
博物館の中で手を合わせたのは、初めてかもしれない。

この観音さんは数奇な運命を辿った仏像で、
もとは大神神社の境内の神宮寺にあった。
例の明治政府の神仏分離令で、
元の場所にいられなくなり、
廃仏毀釈の波を、地元住民の努力もあって、
なんとか乗り越えて、
聖林寺にたどり着いた。
そんな観音さんの歴史に自分が加えられたとは感慨深い。

それにしても明治政府が、そこまで躍起になって、
神と仏を分けて、仏をないがしろにしようとした事実。
結局、明治政府は宗教政府だったのではないか、と思う。
国を統一する根本原理に宗教を置いてしまった。
だから、他の宗教は、存在を認めても、
軽視せざるを得ない。
第二次大戦の端緒は、この明治政府の宗教政策にあるのではないか、
と最近は感じるようになってきた。

博物館の閉館時間は17時。ギリギリまで粘り、外に出る。
今日は、ほんまに暖かく、日差しも柔らかい。
日没までは、まだ十分時間がある。
次の約束は2キロほど離れたところに17時半だったし、
そこまでは、ほぼ緩やかな下り坂だったので、
気持ちいい空気の中、歩いて行くことにした。

途中、氷室神社の梅を鑑賞。

この辺りは、ほんまに普通の住宅街。
京都だと、どこに行っても京都らしい気配があるが、
奈良は、奈良町などの一角を除くと、
歴史的な雰囲気をあまり感じない。
けれど、やはり、辻辻には、突如、
こういうお地蔵さんが祭ってあったりして、
それを熱心に拝んでおられる方がいたりする。
こういう風景を見ると、
生活と信仰との距離の近さを感じて、
少し、嬉しくなる。

目的地は、北袋町の「松籟ショウライ 〜まつのおと〜

一昨年のお水取りの夜、
会社の先輩、福嶋さんと最期の夕食を過ごした場所だ。

福嶋さんは、その年の7月、20年以上の癌との戦いを終えられた。
その思い出のお店で、その日、夕食を共にした人や、
福嶋さんと親しくしてた人が、
今日も、お水取りのタイミングで集まったのだった。
お水取りは、こういう状況なので、行きはしなかったが。

福嶋さんに献杯というより、
福嶋さんと一緒に乾杯して、
宴が始まる。

ここの料理は、本当に、ひとつひとつ丁寧に作ってて、どれも美味しい。
お庭も素晴らしいし、
その割には、そんなに高くもない。
ほんま、福嶋さんにええ店を教えてもらった。

もちろん、他のメンバーとも久しぶりに会う。
ワシより先に会社を辞めた人、
ワシの後で辞めた人、
今も頑張ってる人、
それぞれ立場は違うけど、話は尽きることがない。
話をしてると、そこに福嶋さんがいるような気がしてきた。
いや、たぶんほんまにいてはったんやろう。

楽しい食事は、あったいう間に時間が過ぎた。
気がつくと20時半過ぎ。
休日の奈良→大阪は夜になると極端に電車が少なくなる。
最終電車も早い。
名残惜しいが、そろそろ帰らなくちゃ。

福嶋さん、皆さん、ではまた来年のお水取りのタイミングで!
状況が穏やかになれば、お水取りの時期は、
予約で一杯になりそうな名店だが、
是非来年も、同じタイミングで、同じ場所で、同じメンバーで集まりたい。
もちろん、福嶋さんにも来て頂こう。

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