親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝@京都国立博物館。

ワシの親父が入ってる墓は、浄土宗で、ワシも将来、そこに入る予定なのだが、
ワシ個人は、浄土宗の法然さん以上に、弟子の親鸞さんに共感を抱いてる。

もちろん、宗教家、思想家としてもすごいと思うのだが、
その教えとか以前に、
人間としての親鸞さんの悶々とした思いに、
すげえ共感するのだ。

たとえば、他力本願。
今や、悪い意味で使われてるけど、
親鸞さんの解釈をワシなりに砕いて言うと、
「自分で努力して、極楽往生するなどと言うのは、おこがましいことだ。
自分で自分を救えるという驕った考え方がベースにあるのだ。
阿弥陀様は、そんなこと関係なしに救ってくださる。
それが、阿弥陀様の本願なのだから。
だから我々は、ただただ阿弥陀様におすがりすればいいのだ」みたいなことだと、
親鸞さんに教わった。

素晴らしいなあ、と思う。
自分でなんとかできる、と言うような人間の慢心を、
真っ向から否定してる。

こんな考えに親鸞さんが至ったのは、
もちろん、法然さんや、印度〜中国と続く連綿とした浄土思想もあったろうけど、
親鸞さん個人の、自分で自分をどうしようもできない葛藤もあったのだと思う。
どうしても、世俗の欲を捨てきれない親鸞さん。
しかし、そんな人も含め、全ての人を阿弥陀さんは救ってくれるはず、
だから親鸞さんは、僧侶では初めて、公然と肉食妻帯をしたんやと思う。

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という親鸞さんの言葉がある。
「善人」と「悪人」間違ってないか?
と思うのが普通だが、
親鸞さんの考えをベースにすると、
この考えは、わかりやすい。
ワシ的に解釈すると、
「100%の善人なんて、この世には存在しない。
人間であるなら、誰しも、悪の要素があるはずである。
なのに、自分を善人だと勘違いしてる人でも、
阿弥陀様は救って往生させてくれる。
だったら、悪人だと自覚してる、
自分をきちんと見つめてる人が往生しないわけがない」という意味だと思ってる。

ほんま、人間をベースに置いた素晴らしい考えだと思う。
この考えに至った親鸞さん、ほんまに興味深い。

前置きが長くなりすぎたが、
こんなふうに親鸞さんに興味を持っているので、
京都国立博物館で開催中の「親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝」を観にいってきた。

分厚い展覧会やった。
親鸞さんをいろんな角度から掘り下げてる。
けっこう真筆も残ってるんやなあ。

まさに、親鸞の息子ということで、驕っていた自分の息子を絶縁したりと、
知らんかった一生のことも知れておもろかったなあ。
観終わったら、なんだか疲れ果てて、
しばらく喫茶店でボ〜〜ッとしてしもた。
けっこう集中してしまったんやろな。

グッズも充実してた。
親鸞さんの有名な肖像画をイラスト化したグッズのどれかが欲しかったんやけど、
Tシャツとか、余りまくってるしなあ。
サコッシュが千円切ってたんで、
「いる」ってほどでもないけど、買ってしまった。

親鸞展、5月21日までです。
来週から展示物の入れ替えがあるみたい。
う〜〜む、もう一度、行こうかな。

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