BS番組「月ぬかいしゃ〜八重山うた紀行〜」。

福岡の友だち、ガチャピンから「月ぬかいしゃ〜八重山うた紀行〜」という
BS番組を送ってもらい、ゆっくり観た。
2003年の番組らしい。
素晴らしかった。
知らないこともたくさんあった。

「月ぬかいしゃ」が元々波照間の歌、
というのは、どこかで聞いたことがあったが、
こんな歴史があったとは。
元々波照間は、八重山の中でも
歌のうまい人が多いと有名だったらしい。
「波照間の人とは歌の掛け合いをするな」と言われるほどに。

石垣では白保が、芸達者、歌のうまい人が多いと有名だが、
実は、白保は波照間からの移住者が多い地域だそうだ。
1771年、先島諸島では有名な「明和の大津波」で石垣島は
実に人口の約半分8400人以上を失ったらしい。
特に白保は1500人の住民のほとんど全員が亡くなったため、
琉球王朝は波照間の住民418名を白保に強制移住させて、
復興にあたらせたらしい。
今の白保の人々は、その子孫たちが多いそうだ。
そして、その子孫たちが、石垣で八重山の代表的な歌を紡ぐ。
それほどに波照間は八重山の歌に
大きな足跡を残しているのだ。

そして「月ぬかいしゃ」は、
「波照間のみんぴぃが」と言う歌が
元になっているらしい。

みんぴぃがは、先述の石垣島への強制移住で、
ほぼ無人になった波照間島の村の名前、
そこにただ二人残された老夫婦を歌ったうたらしい。
10年以上前、夜のニシ浜で凪いだ海の上にひとすじに伸びる
月の道を見て、震えるほど心が騒いだ。
その月の道が今に繋がったような気持ちになった。

波照間の映像では、つい先日亡くなったばかりの
後冨底周二さんも、お母さんと一緒に出てらっしゃった。

周ちゃん、もう一度周ちゃんの歌、
聴きたいよ!

波照間の人々は、その後も苦難の道を歩む。
琉球王朝による米作のできる西表への強制移住。
今や陸の孤島と言われ、船でしか行けない船浮より、さらに奥の集落だ。
厳しい環境とマラリアで、そこは今は廃村になっている。

その後も沖縄戦のとき、全島民が西表に強制疎開させられた。
牛や馬、山羊は「米軍の食糧になるから」と、全部処分されたらしい。
そして住民たちは、またしても多くがマラリアの犠牲になった。
いわゆる戦争マラリアだ。

どれだけ苦難に遭おうとも、
波照間の人とずっと共にあったのは、歌だった。

辛い歴史を抱えるのは波照間だけでない。
八重山のどの島もたくさんの哀しみを、
その明るく穏やかな表情の後ろに隠している。

9歳で沖縄の辻遊郭に売られたおばあは、
そのときのことを思い出すと
今でもそのときの気持ちになる、と言って涙を滲ませた。
おばあの宝物は、自作の歌詞帳。
カレンダーの裏や、チラシの裏にビッシリと片仮名で書かれた歌詞。
それは民謡だけでなく、ヤマトの流行歌も混じっている。
おばあの歴史だ。
片仮名で書かれていることも含め。

庭先で無伴奏で歌われる歌、
民家で三線で歌われる歌は、
ステージやライブハウスで聴く歌とは、
また違う説得力がある。

丹念な取材、
虚飾のない素朴な作り、
絵葉書とかではない、
生きてる美しい映像。
全体の作りもいい。
ナレーションやBGM少なめの
ゆったりとしたワンカット、長回し。
情報を言葉で詰め込むのではなくて、
絵から奥行きや広がりを感じさせ、
情報を詰め込む以上の、
分厚く深い内容が伝わって来る。
いつかこんな仕事をしてみたい。
ほんまにええ番組を観た。
ガチャピン、ありがとう!!

この番組を送ってくれたガチャピンが去年、
亡くなられました。
コメント欄にガチャピンがいい言葉を書き込んでくれてるのを見て、
ガチャピンの心が、そっとワシに寄り添ってくれた気がしました。
ガチャピン、素晴らしい番組をありがとう。
(20230715記)

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