2024初京都徘徊①「石をやく 土をやく樂雅臣 樂直入」@美術館「えき」KYOTO。
毎年恒例の正月三日に行われる親族宴会が今年は延期になったので、
なんとか松の内に自力で京都に行く機会を作ろう、思ってて、
こないだ日曜、京都であれこれ行って来た。
まずは、京都駅の駅ビルにある美術館「えき」KYOTOで開催中の、
樂家の樂直入さんと樂雅臣さんの親子の展覧会。
「えき」KYOTOはよく行く美術館なのだが、
今回は、随分、いつもと違う展示だった。
全体が大きな、ひとつのスペースになっている。
そこに展示されているものは、陶器なのか、石器なのか。
壁なのか、空間なのか、鏡なのか。
自分がどこにいるかさえ、あやふやになってくる。
展覧会というよりは、インスタレーションなのかもしれない。
安土桃山から続く樂家の展覧会で、こんな風に、脳みそ揺すぶられるとは思わなかった。
新しいだけなら、他の人にもできるかもしれない。
古くて、新しい。
古いのに、新しい。
古いから、新しい。
だから樂家は、世界探しても他にない、唯一の存在なんやと思う。
樂雅臣さんは陶芸ではなく、石の彫刻家でありながら、
石で樂家らしい茶碗を作り、それを焼成することで、
石とも陶器とも、どちらにも見え、どちらでもないような不思議な
器を作っておられる。
しかし、それも、樂家の流れがなければ生まれない器に違いないと思う。
そして、樂直入さんの「White rock」「Black rock」には、息を呑んだ。
初めて観ても「樂茶碗」だと思える、樂家伝統の気品のある美しさがありながら、
観たことのないような新鮮さもある。
樂家は、ろくろを使わない、ということ以外、
何も教えず、自分で自分の作風を作っていく、と聞いたことがある。
だから、どの代にも、伝統と革新が備わっているとも。
だとすれば、土から石に変えた樂雅臣さんの茶碗も、
大きな変革ではあるが、
その樂家の流れの延長線上にあるのかもしれない、と思った。
作品を置いてある台、
その台のどこに作品を置くか、
その台自体を、スペースのどこに置くか、
までも含めての作品やと思います。
1月29日までのこの展覧会、
ぜひ、多くの人に体験してほしいと思います。