「琉球の魂を歌う」。

「甲子園とオバーと爆弾鍋」のDVDにガチャピンがおまけで入れてくれてた
「琉球の魂を唄う」という番組が素晴らしかった。
「甲子園とオバーと爆弾鍋」と同じく、
中江裕司監督が構成した二時間番組。
沖縄本島、宮古、石垣、奄美の唄の巨人たちを追いかけるドキュメンタリーだ。
なんで、こんなスゴイ番組、今まで知らんかったんやろう。
ガチャピン、ありがとう!

まずは、沖縄本島の登川誠仁さん、セイグヮーを
全体の半分、約一時間かけて追いかける。
セイグヮーは、中江さんの大ヒット作、ナビィの恋の主役、
中江さんとの付き合いも深いのだろう。
中江さん、セイグヮーを好きで好きでたまらないんやろな。
初め、なかなか電話で捕まらないセイグヮーに
アポ無しで取材に行ったら、セイグヮー、案の定、機嫌悪くて、
中江さん、カバン忘れて、焦って帰るのがおもろかった。
番組のためというより、セイグヮーに嫌われたくなかったんやろな。

セイグヮー、そのときは、機嫌悪かったんやろうけど、
本来は茶目っ気たっぷりの、ほんまにかいらしい人である。
1日警察署長をしたとき、ほんまに楽しそうに敬礼したり、
女性ディレクターを一緒の寝袋に入れて喜んでたのに、
奥さんの気配がすると焦ったり、
中江監督が2回目に来た帰り際、「今日はカバン忘れないように」と
ニヤニヤしながら言ったり。
ほんまに笑顔が可愛くて、あの笑顔見たら、
大概のことは許せる気がする。

しかし、演奏は、ほんまに素晴らしい。
ワシは、セイグヮーの演奏を聴くと沖縄そのもの、
という気がしてしまう。
いつもニコニコしながら楽しそうに、のん気そうにしてるけど、
その底には、測り知れない哀しみが渦巻いていて、
それが、唄として溢れ出てくる気がするのだ。
とぅばらーまのシーンだったかな?
唄うにつれて、溢れてしまう涙を拭いもせず、
唄い続けてる姿が、裸のセイグヮーやないか、と思った。
※後で見直したら多幸山のシーンでした。

※動画は、また別のときのライブ。

レコーディングのシーンには、ソウルフラワーユニオンの
中川敬さんが出て来た。
ということは、「スピリチュアルユニティー」の頃の
レコーディング風景やろな。

この前にNTTやったかな?
中川さんと共演したセイグヮーは、
中川さんプロデューサーでアルバムを作らないか?
という話があったとき「中川となら遊べる」と言ったそうだ。
「遊べる」と言うのが、めっちゃかっこいい言葉やな、と思った。

セイグヮーが逝って、もう6年か。。
あの楽しくて楽しくてたまらん!という表情のステージを
もう一度観てみたい。
いや、単純に、またセイグヮーに会いたい!!

たまたまこの番組の「国頭ジントヨー」のシーンがYouTubeにあった。

宮古からは国吉源次さん。
そういえば、国吉さんも中江監督の「恋しくて」と
「ホテルハイビスカス」に出てたな。
中江さんの沖縄民謡への理解と、キャスティングの面白さは
素晴らしいなあ。

宮古民謡は、沖縄本島に比べて、なんとなく伸びやかな印象がある。
喉を広く開けて歌ってる印象。
中でも国吉さんの声の伸び方は素晴らしい。
山のない宮古の端から端まで、風に乗って届きそうな気がする。
間違いなく、当代宮古一のウタサーであろう。
それは、宮古民謡で一番有名な
「なりやまあやぐ」のイメージかも知れんが。

国吉源次さんのが見つからなかったので、
これも素晴らしい宮古のウタサー、
輿那白美和さんのバージョンを。

その国吉さんが中江さんのインタビューに答えるのだが、
沖縄本島のカチャーシーの宮古版やと思ってたクイチャーについて
「あれは豊作の喜びではない。憂さ晴らしである」
というような意見を言ってたのが印象的だった。
宮古は琉球王国に人頭税を、とことん搾り取られた歴史を持つ。
あの伸びやかな声にも、沖縄本島のセイグヮーのとはまた違う
哀しみがこもっているのだなあ。
これもこの番組のクイチャーのシーンの動画を。

三番目の石垣島からは山里勇吉さん。
山里さんは惜しくも昨年お亡くなりになられたが、
押しも押されぬ八重山民謡の第一人者であり、
大工哲弘さんの師匠としても有名だ。

八重山のゆんたは元々「結唄」から来てると思う。
つまり労働歌である。
石垣島は、沖縄諸島には珍しく水持ちのいい土地が広く、
古くから稲作が盛んだった。
農業の中で稲作ほど共同作業の必要な作物は、他にないらしい。
そこで、労働歌が必要となるのだ。
有名な「安里屋ゆんた」も、元々は無伴奏で歌われる。
歌詞に「田草取るなら十六夜月夜」とあるのも、労働歌らしい。

八重山民謡は、何か切なさを伴ってる印象がある。
その中でも山里さんの声は、耳元で爆発するような
圧倒的な切なさがある。
番組で知ったのだが、山里さんは白保の出身。
白保は石垣島の中でも、芸能の盛んな地域で、
それは明和の大津波で全滅した白保地区に、
琉球王府の命令で、芸能の盛んな波照間島から
住民を強制移住させたかららしい。
そう言えば、番組の中にお祭りのシーンがあるのだが、
そこで正面にかかっていた額には「波照間嶽」の文字があった。

山里さんは、若い頃、家から遠く離れた野良仕事の場所まで、
数時間かけて通ってて、その間中、歌ってて、
帰った頃には、声が枯れたりしたそうだ。
その道すがら歌うという「野とぅばらーま」には、
もう破壊力、と言っていいほどの力がある。

最後は、奄美100年に一人の唄サーと呼ばれる武下和平さん。
そう言えば、武下さんも、中江監督の映画「恋しくて」に出てたな。
この番組が縁になったのかもしれないな。
奄美の唄は、裏声と表を行き来する唄い方が沖縄とは決定的に違う。
元ちとせさんの唄い方も奄美の特徴を受け継いでいる、
と言えば、分かりやすいか。
琉球、薩摩、大和、アメリカ、そしてまた大和と、
いろんな強国に支配され続けた哀しみが、そこに込められていると言う。

そのためか、奄美には、薩摩の役人などへの恨みを込めた唄も多く、
内容をその為政者たちに悟られないようにするため、
わざと発音を曖昧にしていると言う話を、この番組で知った。
有名な「むちゃ加那節」も、そんな薩摩の横暴から起こった事件を描いたものだと言う。

武下さんは、この事件の端緒、奄美に寄り添うようにある、
加計呂麻のご出身らしい。
これも、この番組の映像があったので、そのバージョンの
「むちゃ加那節」を。

武下さんの声は、裏返しのままのことも多く、
切なさで、胸が苦しくなりそうなほど、迫ってくる。
歌には、その土地土地の歴史だけでなく、
風土も大きく影響するのだろう。
武下さんの声は、沖縄にはない奄美の高い山々にこだまして、
リアス式の美しい海岸線を彷徨うような切なさを湛えている。

しかし、やはり奄美にも、人々が気持ちをぶつけて、
踊りまくるための唄もある。
それが六調だ。
昔、六調を聞いたとき
「めでためでたの若松様よ、枝も栄える葉も茂る」という
花笠音頭はじめ、大和の民謡にもよく聴かれるフレーズのあることに驚いた。
いつか、このフレーズの伝播を辿る、
フィールドワークをしてみたいと思っている。
この六調のシーンで、
この長いドキュメンタリーは終わる。

※動画は、また別のときのライブ。

武下さんは、現在尼崎在住だと聞いたことがある。
相当お年のはずなので、現在どうしておられるのか、
ライブなど、されておられるのか知りたいと思って、
検索しまくったのだが、どうにもその辺の情報にヒットしない。
出てくるのは10年近く前の情報ばかりで、
ここ数年の情報には、お目にかかれなかった。
武下さんが始められた奄美民謡武下流についても、
どうやらJR立花あたりにあるらしい、
ということしかわからなかった。
わかる方、いらっしゃったら、ぜひ教えてください。

武下さんのCDは廃盤になってるらしく、すごい値段の中古しか見つからなかったので、
それよりは、まだ安いDVDを紹介いたします。

探してる途中、杭瀬に奄美料理と民謡の好いたらしいお店が、
これまた好いたらしい路地にあることを発見した。
まだやってたら、近々、行ってみようと思う。
どなたか、ご一緒して頂けませんか?

それにしても「甲子園とオバーと爆弾鍋」にしても、
「琉球の魂を唄う」にしろ、観終わった瞬間に
「もう一度観よう!」と思うほどの傑作であった。
ガチャピン!ほんまにありがとう!
そして、中江監督にも、感謝してやみません。
ありがとうございました。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA