松尾大社展 みやこの西の守護神@京都文化博物館。

昨日、最後の訪問地は京都文化博物館の
松尾大社(まつのおたいしゃ)展

ワシ、よう知らんかったのですが、
親父の家の氏神さまらしく、
今でも実家近くに住んでる従兄弟は、
松尾さんの祭りのこと、いろいろやってるとか。

本籍地もその辺やし、将来、その実家の辺の墓に入る予定なのに、
何も知らんのもあかんやろう、と行ってみたわけです。

松尾さんは、秦氏につながりのある神社で、
平安京ができる前からある由緒ある神社で、
その意味では、上賀茂下鴨と並び称され、
四条通の西の突き当たりにあるので、
東の突き当たりにある祇園さんとも、並び称される神社みたいっす。

そんなことも知らず、ワシ、好きな造園家の重森三玲さんのお庭があるので、
行ってみたって感じです。
ほんま、すんません!

展覧会、他の神社にはあまりない神像があったり、それが平安時代のものだったり、
いろんな洛中洛外図屏風もあったりで、
けっこうおもろかったです。

一番多かったのは、安堵状とかの書類で、
徳川幕府歴代将軍の安堵状とか、
ほぼ同じ文面なので、文字の違いとかわかって、おもろかったです。
吉宗、意外と柔らかい文字やったなあ、暴れん坊やのに。
とか歴史学の学生やったとは思えんこと、ゆーてみたり。
まあ、右筆(祐筆)が書いてるんかも、ですがね。
流石に慶喜さんは安堵状出す暇もなかったのか、
出せる状況やなかったのか、ありませんでした。

おもろかったのは、けっこう、京都の社域や、荘園の、
近隣の人たちとの揉めごとが多かったようで、
そういう関連の文書、多かったです。
特に西芳寺(苔寺)とは、も〜言った言わないのような
熾烈な争い、してたみたいですわ。
負けたみたいやけど。

と、なんかゆっくり観たてら、閉館の放送が。
え?金曜は19時半までちゃうかったん?
と思いましたが、その時間が近づいて来てました。
あれ〜〜?いつの間に。

ワシが京都に来てることを知ってて、ライブのお誘いも受けてたのですが、
一日、普段あまり使わない脳みそ、使いすぎて、
流石に、フラフラでした。
申し訳ないですが、お断りして、三条京阪を目指します。

三条大橋を渡る時間は19:51。
けど、さすが夏至どき。
まだ暮れ切れていないのでした。

スマホでは流れてしまいますが、京阪特急の二階席からは月が綺麗でした。

天満橋からの眺めも、なかなかで、
京都にやられまくった一日でしたが、
住んでる町も、まんざらではないなあ、と、
ニタニタ家に帰ったのでした。

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