「津軽のカマリ」初鑑賞記。

一昨日の一人文化祭、
朝一で神戸まで行って観たのは、
この映画、「津軽のカマリ」。
(カマリとは「匂い」の意味の津軽弁らしい。)
少し前、十三でやってたんだが、
観逃してしまい、ようやく神戸元町映画館で
一週間だけやることになったので、
今度は観逃すまいと、出かけたのであった。

圧倒された。

音と人が不可分なほど、
一体化している。
そして、竹山さんが育った津軽も
その音に詰まっている。
竹山さんの演奏を聴けば、
竹山さんという人間、津軽という地方が
理屈ではないところで、
怒涛のように伝わって来る気がした。

津軽地方では、女の目の見えない方はイタコに、
男の目の見えない方は三味線弾きになる伝統が、あったそうだ。
竹山さんは、子どもの頃の病気で、視力を失った。
竹山さんが、まぶたを開けると、
かつてはそこに風景を写してただろうが、
今は白く濁ってしまった眼球が現れる。
その眼球がカメラを見据える。
白く濁った眼球は
何も写してないはずなのに、
すべてを見られているような
心の汚さまで見られているような
不思議な感覚に襲われた。

往年の竹山さんの演奏もすごいけど、
亡くなる数日前の演奏は、
かつてのエネルギーなどは、
なくなってしまってるが、
竹山さんが最後に辿り着いた
和らいだ場所のような気がして、
なんか嬉しくなってしまった。

竹山さんの亡くなったのは、
20年前の1998年。
もちろん、竹山さんの動画は、
この映画のために撮られたものは、一秒もない。
監督さんが、いろいろ、編集技術を駆使したり、
お弟子さんたちやお子さんのインタビューを挟んだりして、
淀みない、ひとつの作品に作り上げている。
そこにも感動した。
監督さんは、スケッチ・オブ・ミャークの大西功一さん。
音楽ものドキュメンタリーでは、
ほんまに一番信頼できる監督さんやなあ。
モチーフを上からなぞるだけではなく、
その本質や歴史に入って行き、
人間を浮かび上がらせるのが、素晴らしい。
ほんまに音楽と人間という
切っても切れない関係を大切に
考えてはるんやろな。

クライマックスは、初代に認められて
二代目を襲名したにも関わらず、
地元では、なかなか竹山と呼んでもらえず、
コンサートも初代が亡くなって以来、
地元ではしてなかった、
二代目高橋竹山の久しぶりの
地元青森でのコンサートだった。
鬼気迫る、命を燃やすかのようなコンサートだった。
ここにも、いろいろな業を背負って、
津軽三味線を弾く人がいる。
二代目から初代を語る、
二代目の人生をも重ねることで、
この映画は、初代高橋竹山を超えて、
津軽、という地方を語る映画に
なっているのだと思う。

もっともっと広く観られるべき
映画だと思う。
お近くでやってたら、ぜひ観てみてください!

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