映画「標的の村」。

今日思ったことは、今日のうちに。

「標的の村」というドキュメンタリー映画を見た。
沖縄の本島の北、ヤンバルの160人くらいしかいない村、
しかし、その村の周りには5つもの米国演習用ヘリパッドがあり、
オスプレイの演習用に新たなヘリパッドが作られようとする。

その村の周りにはヘリパッドだらけだ。
そして、米軍は、その村を仮想の敵村として、演習を繰り返す。
村の天空から、地上すれすれにまで降りて来て、射撃をするような、
斜めの角度になったりする。

それは、被害妄想ではなく、
かつて、1960年代、その村の住人は「仮想ベトナム兵」として、
黒い服を着て、編み笠をかぶり、米軍の作ったベトナムの民家っぽいとこから、
飛び出すような役まで、させられていたのだ。
成人男子だけではなく、やっと歩けるくらいの子どもまでが。

それに参加した元米兵、ベトナムには行ったことのない米兵が、
いまだに枯れ葉剤の後遺症に悩んでるという事実までもが、語られる。
確かに、ヤンバルにはありえない、草木一本生えてない地面が、
当時のビデオに写っている。

その歴史を繰り返すまい、
オスプレイだけは阻止しようと、住民は自分たちでできる唯一の運動、
座り込みを敢行する。
日本国は、「説明する」という自らの言葉を実行せず、
座り込みした人たちを裁判に訴える。
スラップ起訴、ってやつだ。
裁判を繰り返し、残った被告の一人を放免し、もう一人を有罪にして、
運動自体を瓦解させようという作戦にも出る。

ドキュメンタリー映画としては、
多分に恣意的な表現ではあると思う。
住民の側からの意見でまとめられていて、
納得できかねるとこも、ないではなかった。
しかし、それほど、恣意的にならざるを得ない、
沖縄の人の怒りと痛みは、十分に感じた。

冷静に見よう、冷静に見よう。
と繰り返した。

2012年10月1日、
オスプレイが沖縄に上陸する直前の日。
沖縄の人たちは、行動に出る。
オスプレイが来る予定の基地の全てのゲートの前で、
座り込む。車をゲートの前に止める。
全てのゲートが封鎖される。
もの凄い数だ。

その人達を排除しようと、もっと、もの凄い人数が動く。
無抵抗の座り込む住人達を暴力的に排除しようとする。
状況を説明しようとする報道陣をも、
同じように暴力的に。
車は、レッカー移動される。
場合によっては、人が乗ったまま。

座り込みをしていた女性が叫ぶ。
「アメリカもナイチャーも何もしてないのに、
沖縄の人が、沖縄の人を排除する、恥ずかしくないの!」
座り込みの人を排除し、車をレッカー移動したのは、
米軍ではない、内地から来た機動隊でもない。
沖縄の県警なのだ。
その言葉を浴びた警察官達は、それが職務だからか、
本当に恥じているのか、一様に唇を噛んで、横を向いているように思えた。

「あなた達は、沖縄県民の平和を守りたくて、警察官になったんじゃないの?」
と泣きながら叫ぶ女性の顔を、まっすぐに見ている警察官は一人もいなかった。

もし、ワシが、その警察官だったら、上官に、
「こんなことは、沖縄の人は望んでないから、止めましょう」と言えたか。
「アメリカより、日本より、おじいおばあ、が大切です」と言えたか。
明日の給料捨ててまで、それが、言えたか。

国家とは、なんなんだろう。
特にワシは若い警察官達の気持ちを思う。
そんな沖縄の人々の複雑な感情の上に、
「60年以上、戦争に直接加わっていない唯一の先進国」という美名を
日本は、保っている。

沖縄は、本当の意味ではまだ返還されてない。
言い方を変えれば、沖縄は日本に返還されるのではなく、
沖縄に返還されなければいけない。

映画を見ていて、一番強く思ったのは、
「これだけのことが、日本の中で起きてるのに、
アメリカの基地を4日間も住民が封鎖、なんてことが、
内地で起こったら、大事件のはずなのに、
なぜ、ワシらは、そのことをあまり知らないのだろう」と言うことだ。

沖縄の住民の考えより、もっとみんなが納得せざるを得ない思想、
住民の生活よりも優先すべき国際安全保障があるとでも言うのだろうか。

それは、誰が判断すべきことだろう。
少なくとも、「事実を伝える」という使命を持った、
報道が隠蔽すべきことではないと思った。

これをFacebookに載せたときの切通さんとのやりとりで、
ワシの意見が明確化した気がします。
ブログに載せるにあたって、まとめようとしたのですが、
それより、その時の気持ちのままのやりとりの方がいいし、
切通さんの意見も素晴らしいので、直接引用いたします。
(20200926)

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