一緒に演奏するだけが、セッションではない。

一緒に演奏するだけがセッションじゃないんだなあ。
まずナオユキさんが様子を見ながら場を温める。
ナオユキさんを初めて見たミチロウさんが
「ならば」と、ザクっと切り込む。
「そうくるか!」と、ナオユキさんが、
際どいネタ、危ないネタで、応戦する。
聴衆は固唾を飲んで見守る。
最後のミチロウさんのカタルシスとも言えるくらいの
彼岸を感じさせる演奏は、
このセッションから導かれたものだと感じた。

昨日の京都ウーララでのナオユキさんと遠藤ミチロウさんとの対バン。
つまりナオユキさん→ミチロウさん→ナオユキさん→ミチロウさんと
ツーセット、4時間に及ぶライブだった。
満足しつつ、走って最終に飛び込むような時間に終わった。

ナオユキさんは最初からいつもと違っていた。
ゆっくり様子を見ながら緩急をつけて聴衆との距離を測る。
たぶん、ナオユキさんから見ての最前列は熱心なミチロウさんのファンだ。
それまでは、慎重に計算しながら間合いを測っていたナオユキさんが
「今だ!」と思った瞬間、リズムをアドリブに変えて畳み込む。

後半のナオユキさんは禁断の下ネタ、犯罪スレスレネタのオンパレード。
ミチロウさんファンに「軽いネタばかりやないんやぞ!」という気持ちもあったろうし、
京都の町に殴り込む気持ちもあっただろう。
だけど、やはり「ミチロウさんがそう来るんやったら、俺の出るとこはここや!」
みたいな決意を感じた。ブレてない。
笑いながらも真剣勝負のスリリングさを感じた。

ミチロウさん、実はライブは8年ぶりくらい。
前回はお腹を壊した。
やっぱり圧がすごい!
前の方に座ったことを後悔するくらい。
前と違っていたのは、震災以降、ミチロウさんは、
故郷のことを、以前よりずっと強く意識してるのではないか、と思ったこと。
ずーずー弁の歌が増えた、とかそういう表面的なことだけではなく、
自分自身の魂を探すようなうちに向いた目線、
その先に故郷があったような気がする。
だから最後は友川さんの歌で締めた。
完全にオリジナルに聞こえるカバーだった。

何故かミチロウさんの声はいつも二つ聞こえる。
あの咆哮はもちろん、歌詞を歌っていても、
ふたつの音が聞こえる。
ときにはハモって。驚くことにときにはディレイで。

そうそうないライブを見たなあ。
本当に一緒にはやってないのに、
フリージャズを聴いてるような
魂の応酬を見た。

お腹を壊さなかったワシは、少しは成長したのかもしれない。

ちなみにこのライブの予定が決まった少し後、
ナオユキさんに「ミチロウさんから一緒にやりましょうて
オファーあったんですよ」と聞いたときの興奮!
「ほんますか!ナオユキさん!」
としか言えなかった。
そのときのナオユキさんの気持ち
思うと、今でもドキドキする。
ワシやったら、気絶してるな。
初めてやのに、ミチロウさんを
動かしたナオユキさんはすごい。
そして、ワシは、この場におれたことが、
心から嬉しい。

この投稿へのリアクションが、なかなか興味深かったので、
リンクしておきます。
(20220607記)

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