映画『沖縄スパイ戦史』。

去年、一度目の入院をしたとき、「なんやお向かいに大きな建物あるなあ」思てた。
その建物、大阪府立男女共同参画・青少年センター、通称ドーンセンターで
観たかった映画「沖縄スパイ戦史」の自主上映やってたので、行ってきた。
セミナールームみたいなとこでやってたので、机に肘をつきながら、
飲み物置きながらの映画鑑賞は、楽で、快適でございました。

内容は、、、ワシは沖縄戦のこと、こんなに知らんかったんや、と打ちのめされる内容でした。

いよいよ敗色が濃厚になり、軍部が沖縄を内地の盾にしようとした頃、
陸軍中野学校の出身者たちが沖縄に渡る。
沖縄北部に行ったものは、少年たちを組織して、少年兵組織「護郷隊」を組織する。

そこで少年たちが教えられたのは、徹底的なゲリラ戦。

そして、その活動は、沖縄戦が終結した6月23日に終わったわけではなく、
8月15日に日本が無条件降伏してからも続いたそうだ。
映画を観てると、それは手違いではなく、どうも、織り込み済みで、
沖縄が内地の盾として崩れた後も、アメリカ軍に何かしらの打撃を与えようとしていた節がある。

沖縄がアメリカ軍に占領されたのちも、少年兵は、捕虜として収容所に入り、
破壊工作を続けたりもした。
アメリカ軍に追われ、山中移動する間に、怪我でついて来られず、
置いていかれるもの、置いていって、アメリカ兵に殺されるくらいなら、
と上官に殺される少年もいたらしい。

中には、脳炎にかかり、笑いながら上官に射殺された少年も。。
戦後、日本兵に殺されたとなると、補償が出ないので、アメリカ兵に殺された、
ということになってた人もいるそうだ。
南洋のどこかわからないところで、家族が戦死するのも辛いけど、
自分たちが生活するすぐ近くで、子供や兄弟が兵士として戦死するってのは、
また違う苦しみがあるんやないだろうか。

ましてや、16や17の子供たちだ。

精神を病んでしまったお母さんもいらっしゃった。

そして、中野学校の卒業生のひとりは、身分を隠し、先生として、八重山の波照間島に降り立った。
日本最南端の有人島だ。
この男が、戦争末期、先生の仮面を脱ぎ、軍令として住人を
西表に強制疎開させ、実に住民の1/3がマラリヤで亡くなった。
住民は西表がマラリヤの感染地域であるということは分かっていたが、
軍令には逆らえず、その場で日本刀で斬り殺されるよりは、と、
西表に移住して、マラリヤで死んでいった。

いわゆる戦争マラリヤだ。

その移住の理由は唯一、疑心暗鬼。
アメリカ軍に占領されたとき、住民から日本軍の秘密が漏れることを恐れたと言うのだ。
住民が知り得る秘密など、どれほどのものがあると言うのか。

その疑心暗鬼は、本島でも悲惨な事件を生む。
アメリカ軍に占領された本島北部にも敗残兵はいて、まだ住民に対して、命令を下していた。
住民の中にスパイはいないか、住民に監視させるという過酷な命令だ。

実際、この住民の密告で、何人かが殺された。
そして、軍の秘密倉庫にモノを運ぶのを手伝った少女も重要機密を知ったから、
と殺されかけた。
つまり、軍は住民を守ろうなんてしない。
彼らが守ろうとするのは、軍であり、国体であり、そのためには住民を利用し、盾にする。
陸上戦が内地に及んでいれば、間違いなく内地でも同じ悲劇は起こっていただろう。

そして、その陸軍中野学校にあった住民の利用法マニュアルのようなものは、
言葉は変わってるものの、ほぼ同じ内容で、自衛隊に引き継がれているらしい。

この悲劇は、内地には関係ない沖縄だけのことではないし、
今には関係ない昔のことでもないのだ。

沖縄スパイ戦史公式ホームページ

映画は、上映機会が限られてて、なかなか観られないと思うけど、
本にもなってるようなので、興味のある方は、是非どうぞ!

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