映画「旅立ちの島唄〜十五の春〜」。

「旅立ちの島唄〜十五の春〜」をDVDで鑑賞。

離島には、高校のない島も多い。
那覇から360キロ離れた南大東島にも、高校はなく、
子どもは15歳で島を離れる。
親元を離れる。

南大東の娘たちは、島を離れる前に三線で歌い、
親への感謝を歌う。

このボロジノ娘のことを知ったのは、
数年前、南大東島に行ったときだった。

南大東は不思議な島だった。
海底火山の山頂カルデラ部分が海上に飛び出たような地形で、
島の中にいると、丸いお盆の中にいるような気分、
まったく海の気配を感じない。
同じくらいの高さの山にぐるりを囲まれ、
太陽が出てないと、方角も分からない。
なんだか映画「トゥルーマン・ショー」の舞台に
紛れ込んだような気がした。

明治の頃、まず小笠原の人たちが上陸し、
その後、沖縄から人が移住したため、
ヤマトと沖縄の文化が入り交じっていて、
景色も文化も沖縄県のどことも違っていた。

隣の北大東島も同じような地形。
深海からそそり立っているため、島には、堤防も作れない。
しかも、台風が生まれるような太平洋のど真ん中の荒波。
大型船は少し沖に停泊し、荷物も人も、港に置いたクレーンで上陸する。
小さな船は、そのままクレーンで、陸に運ばれる。
その不便さから、たった8キロしか離れていないのに、
南と北の間に、定期航路はなく、
日本で一番短い空路で移動した。

丁度、今時分、春分の日の連休を利用しての旅だった。
北大東から那覇に戻る日、空港には、小学生、中学生が集まっていた。
「空港が、遊び場になってるのかなあ」と思ったのだが、
実はその日は、赴任で来ていた先生が島を離れる日だったのだ。
「先生さよなら!さよなら!」と手を振る子どもたち。
ふと気がつくと、ちょっと離れた場所で、
いかにも付き合いで来た、って、感じの中学生男子がいた。
「あの年頃の男の子って、あんな感じだよなあ」
と思ってみていたのだが、
最後の最後に先生がゲートに入って行くとき、
その子がいきなり走ってこちらに向かって来た。
何も言わず、ひとりの先生の手をギュッと握った。

先生も子どもも、数分前に初めて会った人たちなのに、
どんな物語が二人の間にあったのかも知らないが、
熱くて、気持ちいいものが、
喉からお腹に落ちて行くような気分になった。

この映画を見ながら、そんなことを思い出した。

そして、二年後には伊江島を出る、
親友ヒカル君のこと、離島出身の友達のこと、
離島に赴任してた小学校の先生してる友達のこと、思い出した。
温かいだけじゃなく、寂しかったり、辛かったり、だけど嬉しかったりもする
切ないものが、胸を満たした。

北大東島から那覇に戻った、その日の晩、
繁華街歩いてたら、
騒がしい若い連中を見かけた。
その中の一人が、昼間、北大東島で見た先生だったことは、
せっかくのええ話に水を刺すので、
ここだけの話にしときます。(て、九年後にゆーてもうとるがな)
(20230313記)

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