いちご白書は、もう二度と。

あんまり話したくない話題なのだが、
松任谷由実さんの総理辞任についてのコメントが話題になってる。
それに関する白井聡さんの発言や、白井さんに対する橋下徹さんの発言含め、
ゲンナリする一方で、基本的には、興味の外に意識的に押し出しているのだが、
少しだけ気になったのが、「いちご白書をもう一度」のことだ。

ワシ、荒井由美さんにも、松任谷由実さんにも、それほど興味なくて、
人並み程度の知識しかないのだが、
なぜかしら、この曲は昔から好きだった。

それは、多分、世代的な憧れもあったのだと思う。
ワシらは、学生運動から遅れてしまった世代。
その世代に生まれてきたとしても、
学生運動やってたかどうかは定かではないが、
(実際、ワシが大学生のときは、まだ学生運動やってる友だちいてたが、
ワシは、それには加わる気も全然なかった。)
だが、「世の中を変えられる」と信じて、がむしゃらに突き進む先輩達の姿に、
なんか羨ましさを抱いていた部分はあった。

この歌は、その夢破れて、社会に取り込まれて行く
大学生たちを歌ったものだと思う。
ある意味、学生運動の終焉を歌った曲なのだろう。

社会に取り込まれて行っても、胸のどこかには、
あの頃描いた、理想、貧困層のない社会への渇望はあるものだと思っていた。
ところが、熱狂的なウヨさんたちの中には、
その世代の人たちが、結構多いと聞く。
あの頃の学生、全員が運動に加わったわけではないので、
その頃、大人しくしてたけど、心の中に、そういう芽を宿してた人たちが、
定年を迎え、時間ができて、そっちに向かったとも考えられるが、
なんとなく、納得できない感じを抱いていた。

そこに、この騒動である。
松任谷さんの姿が、かつて学生運動してたけど、
今や、熱心な安倍信者になってしまった人の姿に重なって来た。
「もしかしたら、この世代のウヨさんたちは、
学生運動をやってた当事者たちなのかもしれない」
という気がフツフツと湧いて来た。

学生運動やってたけど、髪の毛切って就職して、会社勤めして、
高度成長やら、バブルやら体験してる間に、
根本から宗旨替えしてしまった人たちなのかもしれない。

自分が、そこそこ満ち足りた生活をしていたら、
その体制を覆すような異分子は、取り除いてしまった方が、いい、
と考えているのだろうか。
そう思うと、なんか、もうどうしようもない気持ちになってしまう。

いちご白書」はアメリカの学生運動を描いたノンフィクションと、
それを元にした同じく「いちご白書」という題名のアメリカ映画のこと。
日本でも学生運動がさかんだったあの頃より、世の中はよくなってるのだろうか。
子ども食堂がないと、命を落としかねない子どもたちがいて、
そんなシステムがあることを恥ずかしく思わず、
そのシステムありき、で、物事を進めてしまう政府があって。

「もう一度」と言いながら、松任谷さんは、
この時代の、この運動してた心には、二度と戻らない、
という気持ちを、この歌に込めたのだろうか。

本にしろ、映画にしろ、
彼らが、いちご白書を見ることは、もうないのだろうか。

※改めて映画観てみようかと思ったが、VHSしかないし、
値段がべらぼうに高いので、諦めた。

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