シェイン・マガウアン、ポーグスとしてのラストステージ in横浜WOMAD’91。

この映像、残ってたんや!!
シェインがアルコール依存症でポーグスをクビになる直前、
最後のライブの映像。
しかも、その会場は、日本、横浜。

そのときのポスターとタイムテーブルの画像もあった。

これだけのすごいメンバーが一日¥6,700。3日通しで¥16,000だったそう。
行きたかったなあ!! 
桜川唯丸師匠や、白崎映美さんや西村直樹さんが、
シェインや、フラーコ・ヒメネス、ユッスー・ンドゥール、デティ・クルニアと
同じステージに立ってたと思うと、感慨深い。
照屋林助(テルリン)さんとりんけんさんの親子漫談も観たかったなあ。

さて、問題はポーグス。
確かにシェインはクビなっても仕方ないなあ、
と思うくらい全然歌えてない。
歌えてないどころか、喋れてもいないもんなあ。
一時間、ステージに立ち続けただけでも凄いんちゃうやろか。
けど、歌えたなくても、喋れてなくても、立ってるっだけでも、
やっぱりシェインはかっこよくて、唯一無二の存在やなあ。
とゆーてまうのは、シェインびいきのワシだからか。
とにかく、他のメンバーの演奏はものすごいグルーヴで、
シェインの酔いどれっぷりも含め、
ステージとしては最高やったんやろうなあ。

ワシが、御堂会館にポーグス観に行ったら、
シェインが体調不良で出れない、ってアナウンスあって、
「え〜〜〜〜!」ってなったけど、
その代役でジョー・ストラマーが出てきて狂喜したことがあった。
あれって、この来日と同じ時だったんやろうか。
その頃、ジョー・ストラマーは、ポーグスのプロデューサーとして、
来日公演、同行してたらしい。

この日本公演で懲りたのか、ホンマにシェインはクビになってしまい、
The Popesというバンドを作るのだが、
アルコール依存が治ったわけではないらしく、
もっとひどいステージをやってたようだ。

一方、ポーグスは、そのままジョー・ストラマーを
フロントマンとして迎え入れてしまう。
かつて、クラッシュの前座をやってたバンド、
自分がプロデュースをしてたバンド、
いわば弟分、弟子、みたいなバンドに入ってしまう。
既成の価値観にはこだわらない。
いかにも、ジョー・ストラマーらしい。
その結果、ロンドン・コーリングのポーグスバージョンという
貴重な演奏ができてしまったりしたようだ。

しかし、あれだけ飲んだくれてたシェインがええ嫁さんに恵まれ、
歯も治して、今も健在なのに、
むちゃくちゃきちんと生活してたジョー・ストラマーが、
50歳で亡くなってしまうというのも、皮肉な話だなあ。

対称的な二人やけど、ワシは二人とも、
頭に浮かべると、キュンとしてしまうほど、愛しておる。

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