映画「パッチギ」で自分の中にある差別を考える。

ワシは京都を舞台にした、半島の人と、ナイチの人とのドラマ、
「パッチギ」が、好きです。

ワシの育ったのは、大阪の北河内と言われる地方でした。
田舎なんで、大阪市内や京都市内に比べると、ゆるくはありましたが、
やはり半島の人への差別はゼロではありませんでした。

ワシは、今は、そういう差別意識を、
克服したと思ってますが、
克服したいと思ってから、
「出来た」と思うまで、ほんとに、大変でした。

乗り越えたいと言う気持ちを持ってからも、
ずいぶん、何人も、何人も、人を傷つけてしまったかもしれません。

たまたま、ワシの大好きになる友だちや、ミュージシャンが、
半島の人が多かったんで、
たまたま、、ワシは、乗り越えられたんかもしれんと、思います。

でも、ほんまたまたま。

友だちや知り合いにも、
朝鮮から日本に連れて来られた二世、三世がたくさんいます。
無理矢理、連れて来られた一世は、もちろん大変ですが、
日本で生まれ育った、二世三世。
ワシなんて、オカン広島の山ん中、オトン京都の下町、ってだけで、
悩んだりするとこもあったんすが、
彼らが、日本を故郷と思えないということに、
理不尽を感じておりました。

パッチギ見てて、その同じこと思って、
少し悲しくなりました。
京都に生まれて、京都に育って、
京都以外の町を知らないのに、
京都を故郷と思えない。
そんな悲しいこと。
京都という町を愛するがこそ、
余計に悲しくなりました。

イムジン川は、たまたまそこにあった川、
意味としては、人が人の中に引いた川。
もともとそーゆー意味なんてないのに、
人が勝手に意味をつけ、
意味をつけた人と、何の関係もない、
下の世代のひとが、その川の存在にすら苦しむ。

映画では、イムジン川ではなく、
京都の鴨川を超えて、敵対してた高校生同士が大喧 嘩するんですが、
それは、戦争の寓意かもしれんと思いました。

戦争なんて、あってはいけないし、
ないように、全力を尽くすべきなんだけど、
敵対してる奴らが、
曲りなりとも会話する、唯一の手段が、戦争なんか?と。

いやいや違うよな。
パッチギの映画ですら、
その和解のためには、
一人の命を犠牲にした。

そして、今、戦争が起これば、
パッチギの映画とは違い、
ひとことも会話せずに、戦争が始まり、終わる。
相手のことを知らないまま、
相手の全てを破壊する。

喧嘩が良いとは言わない。
けど、
予定調和と言われるかもしれんが、
パッチギでは、皮膚と皮膚をぶつけて、
殴りあった奴らが、後に仲良くなったりする。

殴り合いでも、まだましだ。
皮膚と皮膚が触れ合えば、
まだ会話は成り立つ。
相手の痛みを、どこかで感じる。

相手の痛みを感じることなく、
殺した相手の家族のことを
思いやることもなく、
ラジオ体操のスタンプカードのように、
喜々として殺した数を誇れる人間を、
作るべきではない、
心から、そう思う。

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