貝原益軒「京城勝覧」。

先日ある番組で、貝原益軒が書いた、
日本最古のオススメコース付き旅行ガイドとも言われる
「京城勝覧」という本があるのを知った。
貝原益軒は江戸前期の本草学者で「養生訓」で知られている。
受験で、名前と養生訓だけは覚えてるって人も多いのではないか。
博覧強記の人だけど、知識だけじゃなく、
寄り道的な雑学も好きで、考え方もユニークな
なかなか興味深い人物なのだ。

この貝原益軒、福岡藩士なのだが、藩命で京都に留学して以来、
京都が大好きになり、17日間で京都を巡る
ガイドブックを書いてしまったわけだ。

「へ〜〜そんな本あるのか」と番組見てたのだが、
ふと、その本通りに歩いてみるのはどうだろう、と思いついてしまった。

検索すると、本の解説などは少しあるものの、
本文はネット上には見当たらない。
まあ、その場の思いつきなので「諦めるか」と思ったのだが、
なんとなく「古本ならあるかも」と思ってしまった。
古本であっても、どうせ高いだろうし、
ワシも学生時代以来、崩し字なんて読んでないので、
読めないだろうな、と諦め半分に、古本屋のサイトを検索すると、
東京本郷の古本屋さんが送料含めて1,750円で売り出していた。
「読めなくても1,750円なら、いいか」と思い注文してしまう。

数日後、送られてきた。
著者、貝原篤信とあるが、これは貝原益軒の本名。
益軒を名乗ったのは、晩年なので、益軒本人に間違いない。

どうも、大正年間に印刷したものらしい。
この本、凄いベストセラーだったらしいので、
享保年間に出版されたのに約200年後の大正年間にも、
印刷されていたのかもしれない。
旧仮名遣いも混じるが全然読めなくもない。

とりあえず、わかりやすいように現代語に訳してみるか。
初日は、三条小橋から、清水寺あたりを周り、粟田口まで行くコース。
写真の目録によると
「三条小橋、大橋を越えて縄手の町を下がり、
建仁寺、六波羅、清水へ出て、粟田口までの道を記す。
今日は見物する所が多い。細かに観るべき。
およそ、四里(約16キロメートル)ほど。」
すごくわかりやすい。

詳細を訳してみた。

実際、歩くことを想定してるので、住所なども書き込んだ。
こんな細かくいろいろ行くとなると、現代でも歩きしかなさそうやな。
もしくは、電動機付き自転車。
難所は、音羽山と将軍塚、そんなに高くないとは言え、
二つの山登りを含んでるところやな。

まあ、一日で回れなくてもいいので、貝原益軒先生の教えに忠実に、
回ってみようかと思ってる。
どなたか、ご一緒しませんか?

訳してて思ったのは、明治の廃仏毀釈の凄さである。
この一日目のガイドだけでも、何箇所か、無くなってしまった寺、
今は併設してた神社だけが残ってる場所などがあった。
ワシの明治政府嫌いは、さらに加速した。
けど、ワシの手に入れた本自体は大正時代の出版やのに、
もうなくなった寺まで、書いてるんやな。
ガイド的役割と資料的価値の両方を重んじてるのか。

あと、江戸前期の貝原益軒の記憶がベースにあるのに、
今でも、その行程が理にかなってることにも驚いた。
基本的には京都の町並みは、その頃から変わってないのだな。
ほんま、分厚い町ですわ。

余談になるが、今回、結構苦労したのは、
本を読んでるときは、老眼鏡がないと読めなくて、
パソコンに文字を打つときは、老眼鏡があると打てないってことだった。
オマケに、記憶力も衰えて、頭で訳した文章を覚えてられないので、
何度も、老眼鏡を付けたり外したりしながらの作業になったことだ。
頭で訳した文章を口に出して、
音声として頭に印象づけると多少はマシなのだが、
やはり文章量的に、それでもおっつかない。
面倒で導入するのをためらっていた音声入力機能を、
真剣に検討すべき時が来てるのかもしれない。

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