映画「ここで生まれて ここにいるー」で、印象に残った言葉。

二階堂CMの清水監督のドキュメンタリー映画「ここで生まれて ここにいるー」をもう一度、観た。
一度目より、いろんなことが深く沁み込んできた。

ひとつ、すごく印象に残る一節があったので、
忘れないように書き留めておこう。
(自分のためのメモ的文章でもあります。まとまってない部分あると思いますが、ご容赦願います。)

「散文は社会と繋がり、詩は世界と繋がっている。
今の広告は、ほぼ散文でできているが、二階堂のCMは詩なのだ」
というような清水監督の言葉。

監督は続ける。
散文は頭に、理屈に訴えるが、詩は胸に、心に訴える。
世界と繋がってる、その世界と繋がるというのは、
「自然がこんなものだったのか」、とか、
「唄ってこんなものだったのか」、とか、
「光というのは、こういう風に変わっていくのか」、とか、
そういうことに気づくこと。

(ここからは、ワシの感想)
言い換えると、散文の繋がっている社会というのは、
人と人との関係性でできているもので、
詩が繋がっている世界というのは、
人がいようがいまいが、関係なく存在しているものかもしれない。
唄は、人から発せられるが、他の人との関係性がなくても、存在しうる。

今の世の中、散文的な情報が溢れかえっている気がする。
それが心の平衡を失う人が増える原因のひとつであるような気もする。
それと並行して、人の興味は、どんどん細分化されている。
散文的な理屈から、こぼれ落ちる、詩的なものを必要とする人も、
一方では増えているのではないか。

この一節を読んで、二階堂のCMを越えて、
ワシが求めているものが観えたような気がした。

広告の一義的な目的が、できるだけ多くの人に、
その商品を買ってもらう、ということであるならば、
二階堂のCMは、間違っているのかもしれない。
だけど、少なくてもいいから、
その商品を本気で好きになってくれる人に届ける。
というCMも、あっていいと思う。
今の時代、そういう広告のあり方は、
昔より存在意義を増してきている気もする。

ワシ個人としては、
流行とか、他人の評価とか、関係なく、
自分の心に響くものに、正直に生きていこう、生きていきたい、
と思う気持ちを、
この一節で肯定してもらえたような気がした。

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