ルールの目的化。

なんかあんまり考えとして、まとまってないんだけど、
モヤモヤっとすることが、最近多くて。

先日、某美術館の離れみたいなところで、
ワシ、一人しか観客いなかったので、
本館を観てたときには、お腹側にしてたリュックを、
背負い直して観てた。
と、監視のため座ってた美術館の方に
「リュックはお腹側にお願いします。」と言われた。
まあ、ルールだし、その人の仕事だから仕方ないのだろうけど、
そもそも「リュックはお腹側に」というルールは、
「他の人の迷惑にならないように」って目的からできてるんだと思う。
だったら、他の人がいない場所で、そのルールって必要なのかな?
という思いが、ムクムク沸き起こってきた。
もちろん、その係の人を責めたりはしなかったけど。※

なんか世の中、須らく、こんなことになってる気がする。
ルールってのは、社会を円滑に進め、
不都合をできるだけ排除するために作るのだろうけど、
一度できてしまうと、それ自体が目的化して、
正義化してしまうのではないだろうか。

自粛警察なんて、その最たるものなのではないだろうか。
もともと、自粛とかは、感染リスクをできるだけ減らすためにやってるのだから、
お店が何時に営業してるとかが、そんなに問題なんだろうか、と思ってしまう。
20時まで店にいたい人を、席数減らしてるとは言え、定員いっぱいにするのと、
たとえば10席あるお店で、2席だけのお客さんが24時までいるのと、
どっちが感染リスクを減らせるだろう。

「そうは言っても、ルールだから仕方ない」
そうかもしれないけど、
ルールだから正しい、というのが、ワシにはどうも飲み込めない。

この辺、「ルールだから」と自分で考えずに猛追してしまう姿勢が、
「自己責任論」とかに繋がってるような気もする。

ワシも自己責任というのを頭から否定するつもりはないけど、
それは、一人一人が独立心を持って、
自分で考えて、自分に責任をもって行動することであって、
人に強制されるものではないような気がする。

個人主義が未熟なまま、輸入されてしまった日本で、
元々体質として持ってた同調圧力と個人主義が結びついてしまい、
変な正義感みたいなもんを背景に、
少しでもはみ出した人を責める道具にされてしまったるのではないか、
と思ったりしている。

大事なのは、自分の頭で考え、おかしいことはおかしいと思い、
ルールが必要なら、ルールを現状に合うように
アップデートしていくことだと思うんだけどなあ。

なんかまとまってない話ですんません。

※美術品の保護という目的も、あるんでしょうが、
その美術館は、美術品に近寄れないよう、
きっちり保護されている美術館でした。

ふと思ったんやけど、美術館で「リュックを腹に」って言うなら、
その時に、「他の人の邪魔にならないように」とか
「美術品の保護のために」とか、
目的を明確にした方がええんやろな、思いました。
それをきっかけに、お客さんも、そのこと考えるきっかけになるし、
職員も、ルールではなく、目的を常に頭に置くことになるんやないかと。

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